横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち

『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』
辛島デイヴィッド著 みすず書房 

Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち

Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち

 

 
 最初にお断りしておくが、私はいわゆる「ハルキスト」ではない。せいぜい初期の作品をいくつか読んだ程度で、最近の話題作はまったく読んでいない。映画「ノルウェイの森」はたまたま原作を読んでおり、監督がファンであるトラン・アン・ユンだったこともあり、見に行っている。でもそのぐらい。

 

 ではなぜ本書に手を伸ばしたのかというと、村上春樹の著書が英訳され、海外進出する過程の裏側を見てみたかったから。日本の小説が外国語に翻訳されること自体は、今ではさほど珍しくないけれど、村上ほどヒットした(2011年の『1Q84』は50言語以上翻訳された)日本人作家はいない。いかにして海外で大きなブームを起こしたのか? 


 村上春樹作品の米国進出には、主に2つのフェーズがある。

 第1フェーズは、翻訳者アルフレッド・バーンバウム、編集者エルマー・ルークのコンビが立役者で、講談社インターナショナルを通じて英訳を出版していた。手掛けた作品は『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』など。編集者のルークも日本語が堪能で、翻訳→編集となるところを、時にはバーンバウムがルークの自宅にパソコンを持ち込んで作業することで、翻訳と編集が同時に行われた。1980年代ということで、米国人読者の理解度を考慮して、かなり大胆な編集作業を行っている。

 第2フェーズでは、村上自身が「本格的に展開するには、米国の出版社やエージェントと組むことが必要」と感じ、有力エージェントと契約したうえで米クノップフ社から本を出した。この頃の翻訳者はジェイ・ルービン、編集者はフィスケットジョン。こちらは既に村上の英訳本が出版された後で知名度もあった。(出版社側の都合で)長すぎる箇所を大幅カットした(『ねじまき鳥クロニクル』)ことはあれど、わりと原文に忠実な翻訳。ルービンは完訳版も用意していた。

 翻訳→編集のステップを踏んでおり、完訳版も存在するため、将来的には英語圏の読者は完訳を読めるようになるかも。


 長編の出版以外にも、米国進出にあたって、雑誌「ニューヨーカー」への短編掲載が重要だった。これは外国人に限らず、米国の若手作家にとっても登竜門となる。もちろん、村上も短編を掲載しており、短編以外にも、長編刊行の前に、新作の抜粋部分の英訳を掲載したという。

 英訳掲載にあたり、「ニューヨーカー」からは変更を要求された。村上は変更に応じたため、無事掲載された。ただし、同時期に同じような要求をされた別の日本人作家は、この要求に応じなかったため、チャンスを逃してしまった。村上の場合、編集長が変わるとぱったり作品が掲載されなくなったので、時期を逃さなかったことが大きかった。

 これとまったく同様のエピソードを別の作家の本で読んだことがある。『食べて祈って恋をして』の女流作家エリザベス・ギルバートが『BIG MAGIC 「夢中になる」ことからはじめよう。』で、似たような経験談を書いていた。

 彼女が駆け出しだった頃、「ニューヨーカー」編集部から短編を短くするように要求されて、それに応じて改稿し、無事に掲載された。だが、そういった何らかの変更要求に応じなかった別の新人作家は、チャンスを逃してしまったと。そして村上と同じく、ギルバートの場合も作品掲載後に編集長が変わり、方針も変わり、あれが唯一のチャンスだったこと、そして自分がそれを逃さなかったことを知った。

 やはり、成功する人は「持ってる」んだろう。


 第1フェーズの成功は、好景気のおかげもあるかもしれない。1980年代の日本はバブル景気に沸いていて、講談社インターナショナルも、米国での宣伝にかなりの予算をかけられた。米国の出版界も、新しいものに挑戦する余裕があった(ように見える)。

 そしてリーマンショックを経た現在、米国の出版社では編集者に「損益計算書を作らせる」という記述を見て驚いた。えええっ!? 編集者に必要なのは、良い作家・作品を発掘する能力であって、数字と向き合うことではないんじゃ?

 本書の舞台となる時期は、リーマンショックより前であり、Amazonが台頭するより前である。米国では日本と比べて電子書籍がよく売れているそうなので、一部の読者が紙の本から電子書籍に移行しただけなら、ダメージは日本よりも小さいかもしれない。その米国ですら、こんな後ろ向きな傾向が見られるとは。

 出版業界ではなく映画業界の話になるけど、1つの作品がヒットすると続編を作り、シリーズ化される。その傾向が昔より強くなった気がする。ということは、まったく新しい企画が入り込む割合が以前より減っているのでは? 大金を投じて失敗しないように、安全策をとってシリーズ化に走っているような印象を受ける。


 これからも米国を足掛かりに海外進出する日本人作家はいるだろう。大ヒットを飛ばす作家もいるだろうし、小説が映画化される作家もいるだろう。でも、村上春樹に匹敵する売上数や翻訳を出すには、もう少し時間がかかるかもしれない。

 

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