横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

ぜんぶ本の話

『ぜんぶ本の話』
池澤夏樹 池澤春菜  毎日新聞出版 

ぜんぶ本の話

ぜんぶ本の話

 

  作家の池澤夏樹さんと、娘である声優・文筆家の池澤春菜さんの親子対談。児童文学、少年小説、SF、ミステリー、翻訳小説の分野について語っているが、お二人ともものすごい読書家なので、合間に色々な本や作家の名前がポンポン出てくる。お父さんの本棚から勝手に本を借りて読んでいたという春菜さん、羨ましい! 

 

 本書を「面白そう」と思いつつ、読むのを一瞬ためらったのは「きっと、まだ読んでいない名著がたくさん出てくるだろうなあ。でもって、読みたくてたまらなくなるだろうなあ」という予感があったから。見事に予感的中。ふせん貼りまくり。


 英文学の凄さを思い知った。ミステリーだけでなく児童文学も、英国は抜きん出ていると。夏樹さんが評価しているものに、伝記がある。一部引用する。

夏樹 ちょっとした人物ならたいてい伝記がある。ある程度知られた人物が死ぬと、すぐに「誰が書く?」という話になる。「ぼくがやるよ」と手をあげて書き手が決まると、まわりがみんな協力する。そういう伝統がある。「手紙が残ってるから使って」とか、「あいつのことは知ってるからインタビュー受けるよ」とか。そうして三年ぐらいたつと厚い伝記が出来上がる。 

  それ以外にも、新しい資料が発見されたり、従来の定説がひっくり返されると、また新しい伝記が書かれるという。どうりで、同じ人物について何冊も伝記があるわけだ。

 最近は、本人が生きているうちに自伝が出るなあ。それも1冊だけでなく、何冊か出るなあ。ジョン・ル・カレとか、デヴィッド・スーシェとか。


 「ミステリー」の章にホームズの話が出てきたので、メモ。

夏樹 じつはこの間、「赤毛クラブ」のことを考えていたんだ。この小説では、ある人間を定期的に家から外へ出しておくためのトリックが描かれていて、よくできている。最近映画やテレビで見直す機会があるせいか、ホームズを思い出す機会が増えたね。

春菜 初めて読んだホームズ物は? 相当昔から翻訳されていたよね。

夏樹 「少年少女世界文学全集」に収録されていた「まだらのひも」と「六つのナポレオン」。それで出会った。 

 

 翻訳者でもある夏樹さんがサンテグジュペリをサンテックスと呼んでいて、「こっち側の人か!」つまりフランス文学者と同じ呼び方をしていた。フランスに住んでいたのに加え、『星の王子さま』の新訳も出していたのだ。2000年代に版権が切れるや、日本では大量の新訳が出て、追いきれないので私は手を出していない。というか、仏文科の一年目で読まされる作品なので、その気になれば原書で読める。でも、池澤夏樹さんの訳なら、読んでみようかな。

 某大ヒットファンタジー小説について、親子揃って「翻訳が悪い」と批判。
 あれ? これ、翻訳業界誌では、ものすごい快挙と言われていたんだよな。大手出版社数社が名乗りを上げる中、通訳でもある零細出版社の社長が直接英国に乗り込んで、熱烈にアピールしたところ、見事に翻訳の権利を勝ち取ったという。巷の翻訳者を勇気づけるエピソードだった。

 私自身はこの小説の和訳は読んでいないのだが(親戚の子供を映画館に連れて行ったことならある)、ネットの噂は本当だったのか。


 「読書家三代 父たちの本」の章では、夏樹さんの父親の福永武彦の本や、創作の裏側など。夏樹さんの本には専門職を持つ、聡明で強いヒロインが多いなあと思っていたが(「真昼のプリニウス」の女性研究者とか)、母親の詩人・原條あき子や、伯母さんの影響があったとは! 

 池澤夏樹さんが「スティル・ライフ」で芥川賞を受賞したのが1988年。詩作や翻訳などを経て、小説家デビューしたのはやや遅咲き。「福永武彦の二世」と言われるのが嫌だったのもある。

 その少し後、私は大学生になったのだが、”新人作家”池澤夏樹は周りで人気があった印象。演劇サークルの、部室が隣の劇団では創作作品も上演していたのだが、池澤作品の短編をアレンジした芝居を見た記憶がある。

 なんとなく、従来の日本の作家っぽくない、海外の空気をまとったところが人気だったのではなかろうか。母校は帰国子女や留学経験者がゴロゴロいて、おおよそ日本らしくない環境だった。受験勉強の国語で読んできた、日本の爺さん作家たちと比べて湿っぽさがない、話の分かる理論的な「親戚の伯父さん」のイメージ。


 以下、昔話。
 新卒で就職活動をした時、文学部の学生のご多分にもれず、私は出版社に応募した。ただし、大学4年生になる頃にはバブル経済がはじけ、急に企業は新卒採用を減らし始めた。問い合わせをした複数の出版社からは「今年は新卒採用は行いません」という断りのハガキが届いた。

 中央公論社はまだ新卒採用を受け付けており、応募すると、本の書評を送れという連絡が。同社から出た本で、自分も好きな作品として池澤夏樹さんの「スティル・ライフ」を選んだ。セレクトが良かったおかげか書類選考は通り、二次の筆記試験に行ったら、会場には大勢の優秀そうな学生が溢れているではないか。なんなら、同じ学科の先輩(留年した人。この先輩、作家デビューしたのだ)にもばったり会った。高い倍率に勝てず、ここも、他の出版社も全落ちした。

 好景気の時でも人気が高いのに……しかも、マスコミ対策なんて全然やっていない情弱ぶりなのに、受かるわけないやんけ。ただ、編集者は激務なので、体力はあるけど徹夜ができない自分には無理だったと思う。なんとか受かって入社しても、早々に退職したような気もする。