横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

a-ha THE MOVIE

「a-ha THE MOVIE」
監督:トマス・ロブサーム


 ノルウェーの人気バンドa-haのドキュメンタリー映画。1982年に、モートン・ハルケット、ポール・ワークター=サヴォイ、マグネ・フルホルメン(マグス)の3人によって結成された。世界的大ヒット曲「Take on Me」などで成功するが2010年に一度解散し、ソロ活動を経て再結成する。

 


 昨年、1980年代のバンドとしてa-haを取り上げた(こちら)。伝記映画が公開されると聞き、いそいそと見に行った。
 彼らがデビュー前から「ノルウェーから世界進出を」と考えていたのは、やはり、お隣スウェーデンABBAの影響だろう。

 幼なじみのポールとマグネのバンドに、よそのバンドで活動していたヴォーカルのモートンが加入する。ポールとマグネが曲を書き、唯一無二の歌声と華やかさを持つモートンがフロントマンになる。

 デビュー曲「Take on Me」が最初は違うプロデュースで、まったく別物だったのに驚いた(ニワトリの物真似が入ったり)。あれじゃ世界進出は無理。新しいプロデューサーと組んで録り直して、本当に良かった。
 でも、音楽業界では珍しくない話なのかもしれない。確か、ペット・ショップ・ボーイズ1984年に「West End Girls」でデビューした時は、もっとゴリゴリのラップで、ヨーロッパで小さくヒットもしたけれど、「(この曲のポテンシャルは)こんなもんじゃない」と、別のプロデューサーと新たに録り直したのだ。最初のプロデューサーと契約で揉めたのもあるが、この出直しが吉と出て、大ヒットしたのだから。


 1980年代はリアルタイムで聴いていたけど、その後は追いかけてないので、映画を見に行く前にWikipedia(英語版)で予習した。

 I guess we both have big egos. In a way, we're each sitting in our own little world, while Mags is more down to earth. Mags often has to mediate between Morten and me... 

 

 解散に至る経緯が気になったが、ポールのこんな言葉を読み、もしかして「強烈なエゴを持つ」モートンとポールがぶつかり、「地に足のついた」マグネが2人の間を取り持っていたのだろうか? と想像していた。

 

 ところが、映画を見てみると真相はまったく違った。

 裏でバンドを仕切っていたのはポールで、レコーディングではまるでプロデューサーのように振る舞う。10代から一緒に音楽をやっていたマグネは、最初ギタリストだったのに「二人もギタリストはいらない」からと、キーボードへの転向を年上のポールに命じられる。また、作曲でもマグネが部分的にアイデアを出していたのに、全体の作曲者ではないというポールの言い分で、作曲者のクレジットから外されている。
 モートンも、リハーサルやレコーディングで皆がアイデアを出し合う中、「まだマグネのアイデアなら理解できるけど、ポールのアイデアは……」みたいなことを言う。

 また、三人とも才能があるゆえに、プロデューサーも言い負かされる。リハーサルはぶつかり合いの場になり、かねてから不満のたまっていたマグネは、心労から病気になる。
 良いものを作るために意見を出し合うのは良いけど、あまりポジティブな終わり方にならず、疲弊して終わったのだろうか。

 

 現在の60歳くらいの三人を見て、モートンとマグネは若い頃の面影を残したまま年をとったなーという印象だが、ポールだけは、どこか老獪なプロデューサーみたいな風貌に変わっている。

 一連の映像を見てしまうと、今後も活動を続けていくなら、もうこれはポールが「譲る」しかないのでは?と思えてくる。それが音楽の方向性として正しいのか分からないが。


 どこかクイーンを思い出すんだな。才能ある同士ゆえに衝突し、ソロ活動でリフレッシュして、また戻って来る。クイーンの場合はフレディ・マーキュリーが病に倒れたけど、もし元気だったなら、再結成後に再び分裂……したかもしれない。

 なぜ三人が再びa-haでやるんだろうと思ったが、彼らの中ではまだ達成したい目標があるのかもしれない。1980年代のヒット曲ばかりでなく、ベテランになった今でも「ヒット曲を出せるんだぜ」というのを見せたいのかもしれない。

 

 映画公開に合わせて、伝記が出た。

tower.jp

 

      新宿武蔵野館で鑑賞。いつもディスプレイが楽しい