横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

オフィサー・アンド・スパイ

「オフィサー・アンド・スパイ」J'Accuse
監督:ロマン・ポランスキー
主演:ジャン・デュジャルダン


 19世紀末~20世紀初頭、フランスを揺るがせたスパイ容疑事件<ドレフュス事件>を描いた映画。ロバート・ハリスの小説(未訳)を原作にしている。

 

 フランス陸軍参謀本部のドレフュス大尉は、ドイツに機密情報を渡した容疑で終身刑となり、フランス領ギアナの悪魔島に幽閉される。新たに情報部部長に就任したピカール中佐が再調査したところ、証拠となった文書の筆跡は別人のものだったことが判明した。ドレフュスがユダヤ系だったため、冤罪をかけられたのだ。ドレフュスの無実と、真犯人はエステラジー少佐であることを上層部に報告し、裁判のやり直しを要求するが、却下された――。

 

 「アーティスト」、「OSS」シリーズのジャン・デュジャルダンピカールを好演している。重厚な時代劇だからか、劇団コメディ・フランセーズの俳優が多数出演。パリ警視庁鑑識課のベルティヨンをマチュー・アマルリックピカールの友人をヴァンサン・ペレーズ、弁護士ラボリをメルヴィル・プポーが演じるなど、キャスティングが贅沢。

 濃い目の風貌のジャン・デュジャルダンはコスチューム・プレイが似合っている。未見だが、19世紀初めが舞台の映画「英雄は嘘がお好き」にも軍人役で出演しており、ひょっとしてそこからキャスティングされたのだろうか。剣術での決闘場面がハマっていて、往年のハリウッド俳優エロ―ル・フリンみたい。

 陸軍が舞台のため、出てくるのは男性ばかり。そこでオリジナルキャラクターと思しきポーリーヌが登場。ピクニックや夜会、街角のカフェなど、美しいドレスに身を包み、ルノワールの絵画のよう。ピカールが捜査のためキャバレーに赴くが、舞台では踊り子たちがフレンチ・カンカンを踊っている。これまたロートレックの絵画を思い出す。

 以前、別件でWikipedia(仏語)の「ドレフュス事件」を読んだ。証拠品は、Wikipediaでは明細書・覚書(bordereau)なのだが、映画では密書(document secret)になっていた。インパクトを考え、ノベライズで変えられたのだろうか。

 映画の中では、事件に関してピカールが裁判に出廷するところで終わり、ドレフュスが無実を勝ち取ったくだりは字幕解説のみだった。観客としては、無罪となった1906年まで描いて欲しいところだが、それをやるととんでもなく長大になるので止めたのか。それとも原作がそうなっているのか。さらに、真犯人エステラジーのその後が描かれず、字幕解説もなかった気がする(見落としたか?)。その辺りが不満。


 平日昼間のフランス映画は女性客が多いのだが、この映画は男性客が目立った。冤罪事件、組織ぐるみの隠蔽工作など、現代にも通じる骨太なテーマを描いているからか。

 


 以下、周辺のことをメモ。
 <ドレフュス事件>では、反ユダヤ派とドレフュス擁護派と「国を二分する騒ぎになった」と言われ、カラン・ダッシュによるこんな風刺画まで生まれた。

 

 文豪エミール・ゾラが新聞に寄稿するや、その著書は焚書に遭い、裁判所に到着したピカールは大衆に騒がれる。第二次世界大戦でフランスはナチスドイツに占領され、ユダヤ人狩りが行われたが、作中の騒ぎを見ると、ドイツと無関係に、半世紀前から反ユダヤ主義が高まっていたことが伺える。


ピカールについて】
 映画では、独身のピカールに恋人(既婚者)がいて、そこを敵に利用されたが、Wikipediaによると、ゲイだったことにされて、反ドレフュス派から批判されたという。
 陸軍でのピカールの所属は字幕だと「防諜部」となっていたが、仏語で確認すると「deuxième Bureau」つまり「第二局」のことで、英国のMI5とかMI6に相当する。
 <ドレフュス事件>後はどうなったのかと思いきや、将軍、さらには大臣へと出世していた。クレマンソー内閣の時の「Ministres de la Guerre」つまり国防大臣(陸軍大臣とも)である。

 

【ベルティヨンについて】
 パリ警視庁鑑識課課長のベルティヨンは、「ベルティヨン方式」で知られる。犯罪者の頭部や腕などの長さを計測し、写真で記録し、再犯者を特定するのに使われた。画期的といわれたが、やがて指紋鑑定にとって代わられる。フランスではベルティヨンに遠慮して、英国よりも指紋鑑定の導入が遅れてしまった。
 映画では、ピカールが新たな証拠品を持ってパリ警視庁のベルティヨンに会いに行くが、まさに頭部の測定を行っている最中だった。
 筆跡鑑定の専門家でもないのに、なぜか<ドレフュス事件>では筆跡鑑定を行った。ユダヤ嫌いから誤った結論を出したが、後にドレフュスは無罪となったため、名誉は失墜した。
 それでも、である。もし、公明正大な筆跡鑑定の専門家が(たとえば、後年のエドモン・ロカールのような)最初からドレフュスの無罪を証明したとして、即座にエステラジーは逮捕されただろうか?

 

 パリ警察博物館に、ベルティヨンの展示があった。

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 映画「Les Brigades du Tigre」にもベルティヨンが登場する。

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【ジョルジュ・クレマンソーについて】
 政治家としてのクレマンソーしか知らなかったが、本作では「オーロール」紙の創刊者として登場する。Wikipediaによると弟ポール・クレマンソーの芸術サロンにピカールも招かれており、面識があったらしい。
 政治家に転向し、内務大臣に就任すると警察組織の改革に乗り出した。「虎」とあだ名され、組織改革で生まれた特捜班は「Brigades de Tigre」と呼ばれた。
 首相に就任すると、前述のように国防大臣(陸軍大臣)にピカール将軍を抜擢した。

 


 映画の舞台は<ベル・エポック>と呼ばれた時代。フランス文学者の小倉孝誠さんが解説している。

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