横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

移動祝祭日

『移動祝祭日』
アーネスト・ヘミングウェイ著 高見浩訳 新潮文庫

 NHK Eテレ「100分de名著」で紹介していたのを見て、読んでみた。50代になったヘミングウェイが、1920年代にパリで過ごした日々を回想した自伝的作品。

 

 番組で印象に残ったのは、パリ滞在中のヘミングウェイは決して貧乏なんかではなかったということ。最初の妻ハドリーが裕福な一族の出身で、おまけに遺産も相続し、経済的にはまったく困っていなかったということ。あれ、「ビジネス貧乏」なのか? それとも、新聞社の報酬だけでやっていこうという、プライドか?
 本人は良いけど、安アパートに暮らしたり、妻も質素な服装だし、せめて妻子には良い暮らしをさせてあげても良かったんじゃないか?

 この自伝(多少、創作も入っている)はこんな素敵なエピグラムで始まる。

 もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。

 

 

 このエピグラム、クラクラする。
 そうかあ。今でも自分がフランスの映画や本にふれるのは、そういう理由かあ。
 もっとも、自分の場合はパリは目的地(生活費の安い地方都市)への通過点だったから、「パリ」を「フランス」に置き換えるしかないのだが。


 先に『カフェから時代は創られる』(こちら)を読んだところ、本書からの引用がちょいちょい出てきた。本書ではその詳細が書いてある。
 文学サロンを開いていた米国人ガートルード・スタインと初めは仲良くしていたけど(息子の洗礼式にも来てもらったほど)、だんだん彼女の価値観について行けなくなって、疎遠になったこと。
 対して、<シェイクスピア・アンド・カンパニー書店>の米国人店主シルヴィア・ビーチとは、戦後までずっと良好な関係を維持したこと。
 
 ちょっと意外だったのは、スコット・フィッツジェラルドとの交友。同じ「ロスト・ジェネレーション」世代というか、同じ頃にデビューを果たし、何かと二人の友情をあちこちで読んだ覚えがあるのだが、実際はそうでもなさそうだということ。最初は、『グレート・ギャツビー』を読んでフィッツジェラルドに敬意を抱いていたヘミングウェイだが、やがてフィッツジェラルドとの関係も、微妙なものに変わって行った。

 フランスでは、結構フィッツジェラルド(というか酒癖の悪さ)に迷惑をかけられていた。妻ゼルダ(メンタルをやられた)と酒に振り回されて長編を書けなくなったフィッツジェラルドと、対照的に作家として成功して行くヘミングウェイ


 ヘミングウェイ夫妻がパリへの移住を決めたのは、当時、米ドルが強かったからという。第一次世界大戦が終わり、パリにはフランスだけでなく世界中から色々な人物が集まっていた。ヘミングウェイは新聞の特派員として、ヨーロッパ各地に取材に出かけて記事を送り、その傍ら小説を執筆していた。
 お気に入りのカフェを持ち、給仕と顔見知りになり、快適に書き物をする。のどが乾いたらビールを頼み、また書く――。ジャズ・エイジの最中のパリの風景も、とても楽しい。

 この本を書いた頃、晩年に差しかかっていたヘミングウェイは満身創痍だった。心身ともにボロボロだったが、『移動祝祭日』は名作になった。若くてエネルギッシュで、活動的だった頃の自分を思い出し、懐かしんでいたのか、はたまた自身を鼓舞していたのか――。


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