横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

サンセット

「サンセット」Napszállta
監督:ネメシュ・ラースロー
出演:ユーリ・ヤカブ、ヴラド・イヴァノフ

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 1913年、オーストリア=ハンガリー帝国の都市ブダペストが舞台。翌年にはオーストリア皇太子夫妻がサラエボで暗殺され(サラエボ事件)、第一次世界大戦が勃発。映画の題名を和訳するなら「落日」だろうか。オーストリア=ハンガリー帝国の終焉にも通じる。

 

【ネタバレあり】

<あらすじ>
 1913年のブダペスト。高級帽子店に、求人広告を見た先代経営者の娘、イリス・レイターが現れる。彼女は2歳で両親を亡くした後、12歳でトリエステの帽子店に送られ、帽子職人として修行してきた。一度は現在の経営者ブリルに追い返されるが、開店30周年の式典準備で店は忙しく、しばらく店に置いてもらえることになる。住み込みで働く他の店員らと同じく、店舗の建物(かつてのイリスの家)に寝泊りするが、部屋で男物の帽子を見つける。

 天涯孤独だと思っていたイリスは、カルマンという兄がいることを知る。兄はかつて伯爵を殺害した犯人で、さらにブリルを殺そうとしていたことも。また、オーストリア皇太子や貴族も訪れる高級帽子店には、何やら裏の顔があるらしかった――。


 あまり主人公が心情を語らないので、「こうなのでは?」という想像も交えて。
 ヒロインの瞳からは芯の強さ、意志の強さが伝わってくる。帽子をかぶった姿は優美だが、一度こうと決めたら諦めない。彼女が兄を探すのは、唯一の身内に会いたいという希望と、殺人を食い止めたいという気持ちがあったのだと思う。「来るな」と警告された危険な場所にも、ずかずかと行ってしまう。

 カルマンの仲間らしい、伯爵邸を襲撃する男たちが何者なのか明らかにされないが、翌年のサラエボ事件だったり、「エリザベート」で皇后エリザベートを暗殺した無政府主義者のルキーニだったり、こういう不平分子の存在が帝国崩壊の引き金になったのでは――と思わせる。

 帽子店は、華やかさの陰で、店で働く若い女性を王侯貴族に捧げるというおぞましい行為を行っていた。カルマンがブリルを殺そうとしたのはそのためだ。身をもって真相を確かめに行ったイリスは、開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまう。過去にその役割を担わされたファニーに会いに行けば、瀕死の状態で(おそらく梅毒だろう。「エリザベート」や「アラトリステ」で、王と寝た女性は梅毒をうつされた)、王宮に乗り込めば、美しく着飾った店員のゼルマを見送る羽目になった。

 あんなに「あの店に帰りたい」と願ったはずの場所だが、襲撃の夜、喪失感と絶望の中、イリスは店を去る。腐敗した古い世界に見切りをつけた彼女がどこへ向かうのかと思いきや、次の場面で第一次世界大戦の戦場に切り替わり、観客は驚く。雨に打たれる兵士らが佇む中、塹壕の奥には強い瞳をしたイリスの姿があった。女性兵士なのか、看護師なのかは分からないが――。


 『リザとキツネと恋する死者たち』に主演したモーニカ・バルシャイ(記事はこちら)も出演していた。イリスをトリエステに送った職業斡旋所だか孤児院だかの女性の役。仏語版Wikipediaに名前が載っていて、それで出演に気づいた。

 騒ぎの後、イリスの顔についた血をぬぐってくれた男は、兄カルマンなのか?と思っていたが、どうやら違うらしい。各国のWikipediaを確認したが、カルマンの名前はなかった。カルマンが生きているのか死んでいるのか不明なのも、もやもやポイント。


 高級帽子店ということで、佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』を思い出した。第一次世界大戦より後、貴族である双子の母親が、ずっと利用していた帽子店で帽子を買うが帽子屋から支払いの心配をされ、それを屈辱に感じた母親は憤死してしまう。ウィーンにあったその帽子店も、レイター帽子店のような感じだったのかも。

 ハンガリーでは日本と同じように苗字、ファーストネームの順番で表記する(映画の中では「レイター・イリス」のように言っていた)のだが、俳優陣の名前は欧米諸国の順番で表記されている。ハンガリー語Wikipediaを見ると、ハンガリーの俳優は苗字が先、外国人の俳優はファーストネームが先という表記になっていた。


ハンガリー映画つながりで:

iledelalphabet.hatenablog.com

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