横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

天路の旅人

『天路の旅人』
沢木耕太郎  新潮社


 第二次世界大戦中、陸軍の密偵(スパイ)として内蒙古から中国奥地を経てチベットへ旅をした人物がいた。蒙古人の僧侶「ロブサン・サンボー」に変装したその人物は西川一三といい、日本が敗れ、終戦を迎えても帰国せずに、インドまで旅を続けた。戦中戦後合わせて8年ほど旅路にあった。

 

 初めは日本人の少ない中国奥地の情報収集という大義があったが、途中で報告書を送ると、派遣元からは「帰還せよ」と命令が下る。西川は知らなかったが、おそらく戦況が悪化していたのだろう。だが西川はその命令に背き、旅を続ける。
 旅を止めるきっかけはもう一度あった。チベット、インドと進み、現地で「日本が負けた」という確実な情報を得た時だ。そこで切り上げることもできたのに、これまた旅を続行することに決めた。

 内蒙古を出発する際、軍資金は用意されたが、やがて無一文になる。そこからが逞しい。現地の言葉を話せるようになっていた西川は、何かしら仕事を見つけて報酬を得るのだ。時には、托鉢や物乞いもする。インドの鉄道では無賃乗車もする。ある土地の品物が別の土地では高く売れると聞けば、行商もする。
 運が良かったのではない。べらべら話すと日本人だとバレるため、黙々と働いた。それが功を奏して、地元の住民や僧侶から信頼を得るのだ。内蒙古チベット、インドの人々もとても親切だった。巡礼僧に慣れているというだけでなく、とにかく旅人に優しい。

 後ろ盾がなくとも、どこへ行ってもやっていけるという自信が、旅の続行へと後押したのかもしれない。


 密偵として送り込まれたのは、西川だけではなかった。木村肥佐生という人物も、西川に先行していた。敗戦後は英国、米国の諜報機関にも協力した。帰国後に『チベット潜行十年』という本を出し、亜細亜大学で教授も務めた。

 インドで木村と再会した西川は、彼の調査に協力するが、木村の態度は西川と対照的だった。取材で、作者が「木村さんはどういう人でしたか」と訊くと、「彼はひとりでは旅のできない人でした」と西川は返した。最終的に、インドで望郷の念にかられた木村が警察に出頭し、西川のことも喋ってしまうという形で、西川の旅も終止符が打たれる。善悪は別にして、潮時だったのかもしれない。


 NHKクローズアップ現代」を録画して、本書の読了後にようやく視聴した。インタビューが少ないと思ったら、こちらに未公開部分がアップされていた。

www.nhk.jp

 うーん。やっぱりインタビューが物足りない。桑子アナ、あんまり沢木さんの本を読んでないのかな。他のアナウンサーだったら、もっと深い質問ができただろうに。


 作者が西川に会い、取材をしたのは25年ほど前。西川自身も『秘境西域八年の潜行』という著書を出していたが、元の原稿は大幅にカットされたものだった。大量の原稿用紙に目を通し、インタビューのテープと合わせて、著書のカットされた部分や空白を埋める。他の仕事で忙殺され、本書の刊行までこれだけ時間がかかってしまった。

 『深夜特急』にもあるように、作者もインドを旅している。西川が通ったのと同じ場所で、同じ人物を目撃したらしい。旅の出発も26歳(西川の方は数え年)と同じ。

 これだけの大冒険を体験した後、西川は地方都市の店主として淡々と毎日を送る。木村が帰国後もずっとモンゴルやチベットと関わり続けたのと比べると、地味な印象を受ける。だが、作者は西川のような境地に憧れるという。冒険の「その後」に着目するとは! 『深夜特急』のような旅をした沢木耕太郎だからこそ、重みを感じる。


 26歳というのは、私が留学したのと同じ年だ。私も早く書かないと……。当時の手帳は残っているけれど、年をとってだんだん気力・体力・集中力が落ちてきているのだ。

 

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