横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

サハラのカフェのマリカ

「サハラのカフェのマリカ」143 Rue du Désert
監督:ハッセン・フェルハーニ

 

 「砂漠のカフェ」と聞いて、名作「バグダッド・カフェ」を思い出す映画ファンは少なくないだろう。それも、女性が切り盛りするカフェならなおさらだ。

 

 こちらはドキュメンタリー映画で、アルジェリアサハラ砂漠が舞台だ。遠くに砂丘が見える、看板もない、国道沿いの小さなカフェの女主人はマリカという老女。オムレツ、飲み物、お菓子だけのシンプルなメニューだ。監督のインタビューによれば、以前はクスクスも提供していたという。

 映画ではただ「お茶」と言っていたが、おそらく紅茶ではなく、砂糖入りのミントティーではないかと想像する。昔、アルジェリアのお隣チュニジアを旅行した時に、地元住民がカフェで飲んでいたお茶はほとんど甘いミントティーだったから。からっとした厳しい暑さに対処するには、ミントの爽やかさと糖分が必須だった。


 地元住民同士の会話はアラビア語。「Tribunal(裁判所)」「Gendarmerie(憲兵)」のようなお堅い用語はなぜかフランス語だ。たまにフランス人らしき客や、バイクで旅するアメリカ人(?)女性客が来た時は、訛りのあるフランス語で話す。後者の時はさすがに、カメラを回しているフェルハーニ監督にところどころ通訳してもらっていたが。

 カフェを訪れるのは常連客と、トラック運転手、バックパッカーが目立つ。撮影クルーはほとんど話さないが、時々「お仕事は何ですか?」「コーランを読みますか?」など、質問を挟む。

 楽器を持った伝統音楽の楽団(現代の服装だが)は、撮影中に偶然訪れたのか。カメラに向かってずらりと並び、「この人たちはわざわざ呼んだの?」と一瞬思ってしまった。百年前なら、ラクダに乗って砂漠を横切り、白い民族衣装を着て演奏していただろう。紅一点のマリカが踊ると、次々と楽器を持たないメンバーたちも前に出てきて踊る。「砂漠の民」という言葉を思い出した場面だった。

 ここはイスラム教の国だなあと実感する。常連客との会話には「神の思し召しだ」「神様が見ているよ」という言葉が出てきて、慎ましい市民の暮らしが垣間見える。礼拝の時刻に、店の床に小さなカーペットを敷き、エルサレムの方角に向かって礼拝をする客。白い衣装の祈祷師もカフェに立ち寄った。


 老女が主人公というと、ほのぼの系を期待するかもしれないが、もっとあっさりとした雰囲気だ。

 カフェの付近に何度も姿を見せる、行方不明の兄を探す男性に「もしかして、さらわれて殺されたんじゃ? 私も娘を殺された」と語り出すマリカ。だが男性が帰ると「兄が行方不明なんて、嘘なんじゃないかね」と言ってのけ、マリカの思いがけない身の上話に驚きを隠せない監督が「さっきのは本当の話?」と尋ねると「作り話だよ」。
 ええー!?
 なんじゃそりゃ。
 本当かと思って驚いたじゃん!!

 抱腹絶倒なのは、常連の男性客との会話だ。風を塞ぐ板を小さな窓から「外しても良いかい?」と聞くと、彼は窓の向こう側に出て、「母さん、ここから出してくれよ」と、刑務所に入れられた息子と面会にきた母親というコントを延々繰り広げるのだ(!)。

 過去には強盗に入られたこともある。それを乗り越えて商売をやってきた、意外なしたたかさのようなものが窺えた。

 
 毎日、同じような時間が流れるが、大きな変化が訪れる。何もないカフェの近所に、給油所とレストランが建設される。カフェにとってはライバルだ。「あたしの稼ぎが減るよ」とぼやくが、常連客は「もうちょっとこの店を続けておくれよ」と言う。かと思えば、遠くに住む甥っ子がマリカを案じて「店をやめて、家族と一緒に暮らそう」と迎えに来るが、「まだここに居たい」と追い返す。
 映画の最後で、完成した給油所の明かりが点灯する。


監督のインタビュー

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