横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち

『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』
河合香織著  小学館 

  「ウスケボーイズ」とは、ワイン評論家・コンサルタントの故・麻井宇介氏に影響を受けた、日本ワインの若き作り手たち(岡本英史、城戸亜紀人、曽我彰彦の三氏)のこと。彼らの姿を描いたドキュメンタリーである本書は、一昨年、映画化された(未見)。

 

 2019年現在、日本には数多くのワイナリーが存在し、国内だけでなく海外からも日本ワインの評価は高い。だが、このような状態になったのはごく最近のこと。40代以上の方なら、かつて、評価の高いワインといえば海外のワインばかりだった時代を覚えているだろう。

 本書からは、若き作り手たちがいかに身を削り、心血を注いでワインを作り、日本ワインの評価を高めたのか、その姿を通して、この数十年の日本におけるワイン史を垣間見ることができる。

 

 登場する三人は、いずれも山梨大学大学院の出身で、筆者とも同世代。彼らが修行した1990年代は、筆者も旅行や留学でフランスを何度も訪れた。三人がフランスのワイナリーを訪問したり、修行の場にブルゴーニュを選ぶくだりは、同じ時期にフランスの地を踏んでいた者として、同世代として、応援したくなった。というより、もし知り合いだったら、通訳でも手紙の翻訳でも、手を貸してあげたかったのにと思ってしまった(もっとも、そのコストを節約してワイナリー訪問に出たのだろうが)。

 日本では輸入果汁に頼ったワイン製造が主だったが、三人は海外のワイナリーのように、ヴィニフェラ(生食用ではないワイン用ブドウ)を自社畑で育て、醸造することに挑んだ。親や周囲の大人たちからは猛反対を受ける。

 だが上の世代も、ただやみくもに若者の挑戦に反対したわけではない。明治時代に日本にワインが入って来てから長い間、日本で現在のような本格的なワインを作ることは叶わなかった。これまで何人もの先達が失敗、挫折してきた。本の中ではそれを「墓碑銘」と呼んでいる。保守的な年配者の反対でなく、若者らが大きな困難に直面するのが分かっていたからこそ、なのだ。


 イタリア・バローロ醸造家のごとく、曽我が家族と衝突する場面では、フランス映画を思い出してしまった。「ブルゴーニュで会いましょう」(こちら)は、先代である主人公の父親が引退していたから、衝突が起こらなかった。もし、父親がまだ現役だったら? また「おかえり、ブルゴーニュへ」(こちら)では、三人きょうだいがそれぞれ別の場所(実家、婿入り先、海外)でワインを作っているので、衝突が起こらなかった。あれがもし、両親の遺言が「三人で一緒にワインを作れ」となっていたら?

 「一家で一つのワイン」なのではなく、もしかすると「一人で一つのワイン」という世界なのかもしれない。


 あとがきに「日本のワインの作り手全員がウスケボーイズなんだと思います」という曽我の言葉が紹介されている。以前、勝沼のワイナリーめぐりをした時、参考にした本がある。本書にも名前の出てくる石井もと子さんの書いた『日本のワイナリーに行こう』というガイド本である。どんどんワイナリーの数が増えているのか、新しい版が出るごとに分厚くなっている気がする。それはつまり「ウスケボーイズ」が全国各地に増えているということなのだろう。 

 11月にボジョレーヌーヴォーを買わなくなって久しい。最近は、我が家では日本のワインの新酒を探して買っている。このところ日本ではボジョレーヌーヴォーの売れ行きが良くないそうだが、「山梨ヌーボーまつり」にはたくさんの人が集まる。マスコミに踊らされず、日本の消費者の目が肥え、ワイン市場が成熟したということだろう。 

日本のワイナリーに行こう2018 (イカロス・ムック)

日本のワイナリーに行こう2018 (イカロス・ムック)