群馬県立近代美術館(高崎市)まで「サラ・ベルナールの世界」展を見に行った。
サラ・ベルナールは、日本ではミュシャのポスターで知られる、19~20世紀に活躍したフランス女優。彫刻や執筆も手掛け、プロデューサーでもあった。交流のあった同時代の芸術家は国境を越え、枚挙にいとまがない。
演劇に限らず文学でも美術でも、この時代の文化を追いかけていると、嫌でも彼女の名前が目に飛び込んでくる。私の場合は大学での専攻や興味が19世紀末期~20世紀初頭にあるからだけど、過去の記事でも取り上げていた。どんだけ好きなんだ。
「パリジェンヌ」展には、ブロンズ彫刻が展示されていた。
小説『おやすみなさい、ホームズさん』には、サラが登場。
パリのペール・ラシエーズ墓地では、彼女のお墓も見ていた。
さて、本展の感想。まず舞台女優として、ポスターに描かれたサラが登場する。もちろん、ミュシャのポスターもある。同時代の他の画家によるポスターを見ると、ミュシャの絵は時代の流行を追っていて、それを洗練させたものだということが分かる。メディアの時代のマーケティングを熟知していたサラは、若手画家ミュシャを抜擢したほか、ビスケット会社の広告などにも自身がモデルになった絵を使用させた。現代でいうと、TVのCMに女優が出演してるようなものか。
サラのすごいところは「見られる側」「描かれる側」に留まらず、自分でも創作に手を染めたところ。若い頃に習い始めた彫刻では、めきめきと腕を上げ、ロンドン公演中に彫刻展を開くと、高い評価を受ける。あのロダンも嫉妬したほどだという。そんな彼女の彫刻作品がいくつか見られる。
著書も出していたのは知らなかった。さすがに和訳は出てないが、フランスだと今でも手に入る。
サラの着たドレス、銀食器(座右の銘”Quand Meme”の頭文字入り)のほか、驚いたのが舞台で使用した装飾品。惜しげもなく宝石をあしらい、なかなかゴージャス。ティアラ、ベルトなどなど。装飾品のデザインを依頼した中に、無名だったラリックがいた。彼もまたサラに見いだされたアーティストだ。
セレブとして、マスコミの洗礼は避けられない。「イリュストラシオン」誌のカリカチュアとか、同時代の作家や政治家と同じく、彼女も風刺画にされている。
ミュシャに興味のある方は、この後巡回する堺アルフォンス・ミュシャ館(堺市立文化館)に行かれると良いのでは。
カタログの側面は、青・白・赤のトリコロール
昔フランスで購入したポストカード
左はディジョン美術館で購入。Léon Gouil画
右はパリのプティ・パレ美術館で購入。恋人だったクレラン画(カタログに登場)
あとは、美術展を離れた関連情報を。
サラ・ベルナールは日本だと関連書籍が少なく、この本を読んだぐらい。フランソワーズ・サガンの書いた伝記で、ユニークなことに、サガンとサラの対話形式。
サラ・ベルナール―運命を誘惑するひとみ (女たちの世紀末、女たちの20世紀)
- 作者: フランソワーズ・サガン,吉田加南子,Francoise Sagan
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1999/02
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
2000年代に、麻美れいさん主演で、サラ・ベルナールの生涯を描いた戯曲が上演されて、見に行った。「サラ 追想で綴る女優サラ・ベルナールの一生」という題名で、サラ役を麻美れいさん、秘書ピトゥ役を金田龍之介さんが演じた。そういえば、麻美れいさんはサラ・ベルナール同様「ハムレット」を演じたことがあるんでしたね。
- 作者: ジョンマレル,リーマクドゥーガル,John Murrell,Lee MacDougall,吉原豊司
- 出版社/メーカー: 彩流社
- 発売日: 2002/06/01
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
サラ・ベルナールはサイレント映画に出演しており、動く姿が動画で残っている。
それとラシーヌの戯曲『フェードル』の録音も残っており、悲劇女優サラ・ベルナールの演技を聞くことができる。
以下、昔話。
本展でも写真で紹介されたサラ・ベルナールの別荘は、ブルターニュ地方のベル・イルに建てられた。彼女はユダヤ系だったため、フランスがナチスドイツに占領された第二次大戦中、破壊されてしまった。Wikipedeia(日本語版)によると、その後「2007年までサラ・ベルナールを顕彰する博物館となっていた」と書いてある。
実は、フランス留学中の1997年に、遠路はるばるベル・イルまで行ったのだ。でも留学にはカメラを持参していないので(安宿にも泊まったから盗難防止もある)写真はない。キブロンから船で島に渡り、レンタサイクルで走った。巨石(メンヒル)を見たり、海を見たり。
サラ・ベルナールの別荘の近くまで行ったけど、どうも博物館は営業している気配がない。「あれが別荘か~」と眺めるのがせいぜいだった。戦中に破壊されたのなら、私が見たのは修復後の姿だったのか。寒い3月でなく、真夏のバカンスシーズンに行けば、見学できたのかな。
仏語で検索すると、現在も博物館として一般公開されているらしい。