横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

落下の解剖学

「落下の解剖学」Anatomie d'une chute
監督:ジュスティーヌ・トリエ
主演:ザンドラ・ヒュラー


<あらすじ>
 人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。はじめは事故と思われたが、次第にベストセラー作家であるドイツ人の妻サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)に殺人容疑が向けられる。現場に居合わせたのは、視覚障害のある11歳の息子ダニエルだけ。事件の真相を追っていく中で、夫婦の秘密や嘘が暴露されていく――。

 2時間半もの間、緊張感が途切れない。現場検証や、法廷での息が詰まるやり取り。一瞬たりとも見逃せず、見終わるとぐったりする。

 夫サミュエルはフランス人、妻サンドラはドイツ人で、主に英語、時々フランス語で会話する。英語を使うのは、彼らがロンドンで出会い、暮らしていたのもある。経済的な問題から、サミュエルの故郷であるフランス・グルノーブル近郊に引っ越すことになる。グルノーブルはかつて冬季オリンピックも開催されたところで、山荘は雪に囲まれている。

 ロンドンでは2人とも「外国人」の対等な立場だったが、サミュエルの故郷であるフランスの地方に来るや、サンドラはとてつもないアウェー感を覚えただろう。弁護士のヴァンサンなど、友人たちとは英語で会話もできるが、なぜか母国語のドイツ語は出てこない。裁判でも、フランス語で話すことを強いられ、途中で英語での発言に切り替えるのだが、通訳は英語→フランス語なのだ。ドイツ語ではなく。

 

 サミュエルのUSBメモリーに、死の前日の夫婦喧嘩の録音が残されており、法廷でも証拠として公表される。生前サミュエルがメンタルを病み、精神科医にかかっていたことから、医師も証言する。そこから夫婦の間の不均衡、作家志望だったサミュエルの妻への嫉妬、サンドラがバイセクシャルであることなど、家庭の秘密が白日の下にさらされる。

 息子ダニエルはまだ小学生で、事前に女性裁判官が「明日は、あなたは傍聴しなくていいわ」と伝える。恐らく、証拠として両親の生々しいやりとりが出てくるのを想定して、「この子には聞かせたくない」という配慮だろう。
 なのだが、ダニエルは「テレビやインターネットで、いずれは真相を知るから」と言い張り、上記の夫婦喧嘩が公表された日も傍聴するのだ。裁判が終わっても、親子関係は続くのに――と心配になるが、ダニエルは父親の薬のことを初めて聞き、ある出来事を思い出す。そして、ダニエルの証言が裁判の行方を決める。


 最後に裁判が終わり、サンドラが「実感がわかない」と言う。膨大なマイナス(100、いや1000かも)をゼロに持って行く作業だったのだから、疲労感も大きいだろう。

 いざ真相が明らかになってみると、サミュエルの行動が子供じみて見える。夫婦の家事分担や、職業の成功度が男女逆だったとしても、恐らくサンドラは、パートナーが取材を受けている最中に、大音量で音楽なんてかけたりしないと思うのだ。


 以下、余談。
 サンドラに取材に来た女子学生も証人として呼ばれるが、裁判官が「マドモアゼル」と呼ぶと、女子学生は「その呼び方は嫌です」と答え、「マダム」に変更される。最近、フランスでは、若い女性や未婚女性を指す「マドモアゼル」という呼称をやめようとのムーブメントが出てきたと聞いていたが、これのことかー!
 今は事実婚が多いし、昔ながらの「既婚者」というのもないし、時代の流れか。外国人としては、全部「マダム」で済むなら、楽は楽だけど。

 それと、裁判が事件の1年後というのに驚き。フランスなら、もっと早く裁判が実施されるのかと思っていたが。