横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

ヒューマン・ファクター

ヒューマン・ファクター
グレアム・グリーン 加賀山卓郎訳 早川書房 

ヒューマン・ファクター―グレアム・グリーン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

ヒューマン・ファクター―グレアム・グリーン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

 

 東西冷戦時代、英国および西側諸国を震撼させた二重スパイ事件があった。ソ連に情報を流していたキム・フィルビーは、MI6に勤務していた人物で、上流階級出身だった。この事件を基に、ジョン・ル・カレは小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(映画では「裏切りのサーカス」)を書き、グレアム・グリーンは『ヒューマン・ファクター』を書いた。ル・カレもグリーンも、かつてMI6に勤務し、後に作家に転身した。


【ネタバレあり】

  元英国諜報員の作家グレアム・グリーンのことを調べていた時、実話に基づいた本書の存在を知った。主人公のモデルであるキム・フィルビーは、MI6時代、グリーンの上司だった。ケンブリッジ大学出身で、英国の上流階級出身者ばかりのソ連のスパイ網「ケンブリッジ・ファイヴ」の一人だったという。

 共産主義への期待もあったと思うが、キム・フィルビーの場合、厳格な父親への反発心も、スパイへの道を歩んだ動機らしい。


 本書で主人公モーリス・カッスルが住むバーカムステッドは、グリーンの故郷。オックスフォード大学出身の部分も共通する。アフリカ駐在の経験がある点も。

 東側への情報漏洩があったことでディントリー大佐が職員を調べる際、カッスルがあっさり疑惑をパスしたのは、当人がオックスフォード出身なのに加えて、やはり同大学に学んだ彼のいとこがディントリーと知り合いだったから。かたや、カッスルの同僚ディヴィスが疑われたのは、金遣いの荒さもあるが、オックスブリッジではないレディング大学卒だったから。

 オックスフォードだろうがケンブリッジだろうが、同じことだ。当時この2つの大学を出ているということは、英国屈指のエリートという意味なのだから。MI5にせよMI6にせよ、上流階級出身のエリートだからこそ過信し、騙された。キム・フィルビーもカッスルも、そんな内輪意識を利用したのかもしれない。

 

 諜報機関なのに、ろくに証拠もないままディヴィスを疑うとは、かなりお粗末。そのために大きな混乱と悲劇が起こる(こういうこと、実際にあったのだろうか?)。

 作者のグリーンが実際にMI6で諜報員だったということもあり、映画「007」と違い、主人公が淡々とお役所勤めを果たす姿が「映画みたく派手なドンパチはないですよ。これが諜報員の日常生活ですよ」と読者に訴えかけるよう。特に最初の方なんて、近隣から浮かないように、現金で一括払いせずにローンで家を買ったり、郊外から電車通勤したり、普通の公務員という感じ。それだからこそ後半に進むにつれ、意外性がある。

 

 キム・フィルビーはモスクワ亡命後、妻を呼び寄せた。セーラはサムと共に、カッスルと再会できたのだろうか。

 小説が発表されたのは1978年。ふと、ベルリンの壁が崩壊した後、キム・フィルビーはどうなったんだろうと確認すると、その直前の1988年に亡くなっていた。


 グレアム・グリーンの小説は、語学留学中に『情事の終わり』を原書で読んだくらい(つまり理解度がやや中途半端)。『情事の終わり』も実話に基づいていること、サラ・マイルズのモデルがいることを後で知った。あと映画「第三の男」を見たっけ。ジョン・ル・カレともども、現在読書強化中。


 『ヒューマン・ファクター』は映画にもなっている。日本では劇場公開されず、衛星放送でちょこっと放送しただけということは、あんまり面白くないのかな。それとも、小説だとスパイの悲哀が透けて見えたが、映像では表現しきれなかったのか。

 映画版は未見なので、自分用メモとして書いておく。
 カッスル(映画版はキャッスル)役はニコール・ウィリアムソン。「シャーロック・ホームズの素敵な挑戦」(The Seven-Per-Cent Solution)でホームズを演じた俳優。デイヴィス役は、若い頃のデレク・ジャコビ。妻のセーラ(映画版はサラ)役は、デヴィッド・ボウイ夫人のイマン。スーパーモデルなのは知ってたけど、女優業もやってたんだ!

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 同じ二重スパイ事件を基に、ジョン・ル・カレジョージ・スマイリーを主人公とした『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を書いた。 

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