横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

ジェヴォーダンの獣とバスカヴィル家の犬

 2020年にも放送されたNHK「ダークサイドミステリー 魔物が実在!? 不死身の野獣が村を襲った 〜ジェヴォーダンの獣事件〜」の再放送を見た。

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 「ジェヴォーダンの獣」(Bête du Gévaudan)とは、18世紀(1764年~1767年にかけて)フランス・ジェヴォーダン地方(現在のオーヴェルニュ地方、ロゼール県)に現れた巨大な動物で、3年にわたり、100人以上の子供や女性を襲い殺した。国王ルイ15世による討伐隊も派遣されたが失敗し、最終的には地元猟師らの山狩りで仕留められた。「獣」の正体は、犬とオオカミの交配説や品種改良説など諸説あるが、不明のまま。
 宗教戦争の後に、カトリックへの改宗を拒んだプロテスタント系住民がジェヴォーダンに逃れ住んでおり、教会はそれを利用し、「獣の犠牲者たちは信仰が足りなかった」と非難した。また、事件が起きたのはアンシャン・レジームの末期で、あと20年あまりでフランス革命が起こる。そんな狭間の時代である。

 

 2001年にはフランスで「ジェヴォーダンの獣」(Le pacte des loups)の題で映画にもなっている。映画では獣を操る黒幕がいたという設定になっており、外国の秘密結社に美女、新大陸アメリカのインディアンまで登場する。

 


 「ジェヴォーダンの獣」と、コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』との類似もこれまで指摘されてきた。いずれも舞台は首都から遠く離れた辺鄙な土地で、大きな謎の動物が出没し、地元の住民が襲われ死者が出るという共通点がある。両者を比較した、フランス人シャーロキアンのエッセイを読んだ覚えがある。確か、上記の映画が公開された頃だったか。

 日本では、18世紀の英国人医師ジョン・ハンターが主人公の漫画『解剖医ハンター』第2巻「バスカヴィル家の獣」(2011年刊)で、「ジェヴォーダンの獣」を扱っている。

 

 バスカヴィルという地方の名士(!)やダーウィンの祖父も出てくる。「ジェヴォーダンの獣」と同じ頃で、まだ教会が力を持ち、魔女狩りも行われていたが、物語の舞台となる英国バーミンガムでは産業革命が始まっていた。実在の団体「月光協会」(The Lunar Society of Birmingham)には科学者たちが集まり、蒸気機関の発明者ワット、食器製品実業家ウェッジウッド、後に政治家となるベンジャミン・フランクリンが登場する。

 ハンターの助手は後に天然痘ワクチンを開発するジェンナー、他の巻にはキャプテン・クックなど、同時代の実在する偉人のオンパレード。

 フランスとは状況が異なるが、英国でも、産業革命と科学による<新しい時代>の幕開けを迎えていた。バーミンガムの森に出没する正体不明の野獣と、海の向こうのフランスの「ジェヴォーダンの獣」が、奇想天外な形でつながる。


 フランスのミステリ作家ルネ・レウヴァンは短編「イサドラ・ペルサーノと奇妙な虫」(『シャーロック・ホームズの気晴らし』所収、2014年刊)の中で、『バスカヴィル家の犬』の後日譚を書いている。ダートムアの荒野を駆け回った大きな犬と、「ジェヴォーダンの獣」と呼ばれた巨大な獣を、実に意外な形で結びつけている。

 

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 うーん、『解剖医ハンター』もう少し早く見つけていれば、レウヴァンの本のあとがきに書けたかも。