横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

『One Hundred Lyrics and a Poem』

 

 

 少し前に、英紙のこんな記事を見つけた。ペット・ショップ・ボーイズ以外にもちょうどケイト・ブッシュの曲も聞いていたし、タイムリー。

 

 歌詞が文学になるとき
 ペット・ショップ・ボーイズからケイト・ブッシュまで、ポップスターが歌詞集を出版した。彼らの言葉が明らかにするものは?

www.newstatesman.com

 

 これは、ボブ・ディランノーベル文学賞を受賞した後の、2019年の記事。ケイト・ブッシュやニール・テナントに限らず、1980年代の歌手の中から将来、ノーベル文学賞をとる人が出るかもしれない。

 

 文学的な歌詞を書く人は、ほかにもいる。

englishlive.ef.com

 現在、ニール・テナントの『One Hundred Lyrics and a Poem』を読んでいるところ。
 こちらのレビューが面白かった。

reminder.top


 以下、感想を。
 本書は、ペット・ショップ・ボーイズの歌詞を書いているニール・テナントの半ば自伝的な本である。100曲の歌詞を選び、その歌詞を書いた背景やきっかけについて、解説・コメントをつけている。すでに知られている解説もあれば、初めて知った解説もある。

 英紙で「本格的な自伝の執筆を勧められていた」ことを読んだが、冒頭の15ページの序文がまさに圧縮した自伝になっている。少年時代、ギターを弾いて曲を書くようになったこと、ニューカッスルからロンドンに出てきてからのこと、クリス・ロウと出会ったこと、ペット・ショップ・ボーイズを結成してデビューに至るまでのこと、などなど。

 クリスと出会う以前にも、あるレコード会社のオーディションに応募したり、デモテープを作ってレコード会社に送ったりしたという。10代から音楽活動をしていたニールだが、それでも合格には至らなかった。BBCラジオのインタビューで「クリスと出会って、足りないパーツが埋まった感じがした」と聞いたので、デビューするにはクリスの音楽が必要だったことがわかる。
 クリスと曲作りに励むところは、エルトン・ジョンの伝記映画「ロケットマン」(こちら)で、エルトンが作詞家バーニー・トーピンと出会い、二人で曲を書く場面を思い出してしまった。

 この序文を読んで、心を鷲掴みにされてしまった。なんだか、古い友人に再会したような気持ち。とても良い本を読んだ時、作者に手紙を書くように次々と語りたいことが出てくるのだが、沢木耕太郎の本を読んだ時以来の感覚だ。
 ニールがポップス以外にもクラシックやジャズを聴いていたこと、大人になってから子供の頃に買えなかったレコードを買ったこと、10代の頃に劇団に参加していたこと。社会人になった時期の英国が不景気で、転職したこと(解雇手当という言葉が出てきて、転職の背景を理解した。日本だと「就職氷河期」か)。読書が大好きなこと。それと本書の範囲外だが、美術館を訪れること、犬が好きなこと――。
 私には洋楽好きとジャズ好きな友人はそれぞれいるのだが、両方(それとクラシックも)まんべんなく聴いている人はいない。10代の時はお金がなくて、社会人になってから洋楽CDの輸入盤で大人買いした。逐一述べないが、ニールの体験談や彼の好きなものに「わかる、わかる」と頷きまくった。
 生まれ育った国も世代も違うのに、「古い友人に再会したような気持ち」と感じたのは、そういう理由もある。

 

 また、弱者というか疎外感を覚える者への共感があちこちに感じられる。彼らがデビューした1980年代はサッチャー政権の時代で、スタイル・カウンシルなども政権批判の歌を発表していた。また、友人がエイズで亡くなったこと、ゲイとしてカミングアウトした前後のことも解説中に出てくる。今と違ってエイズは不治の病で、同性愛者はエイズと結び付けられ、偏見の目で見られていた。1980~1990年代という時代を思えば、勇気のいることだったと思う。
 カミングアウトする以前は女性とも付き合っていたことが明かされている。私は女性なのでどうしても女性側の立場で考えてしまうのだが、ガールフレンドからすれば、後に元カレがメディアを通じてゲイであることを公表したら「じゃあ、私ってなんだったのかしら……」と複雑な思いだったのではなかろうか。

 

 ニールの歌詞にはサラッとすごい言葉が登場する。たとえば「West End Girls」なら「from Lake Geneva to the Finland Station」の部分など、引用元を知るにつけ、ものすごい教養と読書量が垣間見える。奥行きが深く、ある意味、翻訳者泣かせである。なので「quite often the narrative details for a lyric are taken from a book」というくだりには、大いに膝を打った。

 ニール・テナントの歌詞は、上記の見出し「歌詞が文学になるとき」を挙げるまでもなく、始めから文学なのだ。

 一気に読むのは不可能だ。少しずつ味わうように読み進め、CDや動画で曲を聴きながら世界観を確認しよう。

 

【追記】

 ペット・ショップ・ボーイズの曲の解釈については、こちらのファン・サイトがお勧め。運営者は米国人らしいが、英国など各国のファンから「こういう解釈では?」と、なかなか鋭い指摘がされる。英語ネイティブにとっても、謎解きのような部分があるのか。

www.geowayne.com