IT分野の翻訳の世界で、英語などの外国語から現地の言語に翻訳することを「ローカライズ」という。
東北弁で演じる試みは、シェイクスピアのローカライズにもっとも成功した例ではなかろうか。
21世紀に入った今でも、映画や演劇の世界でシェイクスピア作品を見る。英国以外の国、非英語圏の国なら、異文化のものを自国で、自分たちの言葉で演じる難しさを、演出家も役者もひしひしと感じているだろう。
もう一つ、現代の演出家や役者を悩ませるのは、16世紀のものをどうやって21世紀に持ってくるのかという問題だ。これは、アジアに比べて文化の相違が小さそうな欧米でも、頭の痛い問題らしい。
少し前にロシアの劇団だったかな、「ハムレット」を上演した際、衣装だけでなく、舞台上のカーテンもニットで作って話題になったことがあった。演出の一種だが、今思えばあれも現代の観客に寄せるための工夫だったのではと思う。
かと思えば、シェイクスピアではなく、同時代の劇作家クリストファー・マーロウの作品だが、1990年代のフランスの地方都市で、仏語版「エドワード2世」を見た。衣装もその時代(13~14世紀)らしく見える衣装で、本格的ストレートプレイだった。”モーティマー”が仏語発音の”モルティメール”になったり多少の違和感はあったりしたが、それはそれで堪能した。マーロウもこうなら、恐らくシェイクスピアも、今でもストレートプレイで上演する劇団も多いはず。
シェイクスピア・カンパニーの舞台はあいにくまだ見たことがないけれど、本書を読んで感じたのは、言葉の壁、文化の壁、さらに時代の壁を、「今の東北弁」を使うことで、見事にクリアしているということである。脚色と時代・舞台設定の妙もあるのだが、役者や観客の日常の言葉と、舞台上の言葉の間に壁がない。だからこそ、エディンバラで上演した時に(海外の観客は日本語・東北弁は分からないものの)多くの人に認められたのだろう。
また、私が大学生だった1990年代に、日本国内でシェイクスピア作品の映画や舞台を見た記憶があるが、なぜ、あんなに色々な作品を見られたのか? 本書を読んで謎が解けた。その少し前の時代に、世界的なシェイクスピア・ブームがあったとは。
だから、ケネス・ブラナー監督の「ヘンリー5世」だの、「ハムレット」のスピンオフともいえる「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」(若手俳優だったゲイリー・オールドマン、ティム・ロスが共演!)だのが東京でも見られたのか(本書の巻末でロゼギルが「漏電・停電」の和名になったことを知った。うわー素敵!)。
2011年の震災後、東北の被災地を訪れて上演しているとのことだが、観客だけでなく、劇団の人たちも、シェイクスピアに救われているのではなかろうか。
以下、昔話。
なぜ、大学で仏文科だった私がシェイクスピアについて夢中になって語っているのかというと、それは大学でシェイクスピア劇団に参加していたから。ただし舞台には殆ど立たず、もっぱら裏方だった。
高校でも大学でも、演劇や音楽のような自己表現のジャンルは女子部員が多く、男子部員が少ない傾向にあった。しかし、シェイクスピア作品は女優が存在しなかった時代の名残で、圧倒的に男役ばかり。女役は少ない。歌舞伎のように、男優が演じていたのだ。
そして母校の大学は美人が多かった。王妃や姫、乳母といった役は、美人の(もちろん演技力もある)先輩方が演じた。
反対に男優が足りなくて、他の劇団や他大学からも男優を借りてきたほど。本来、男性が演じた使用人や少年の役を、女性が演じられるようリライトしたりした。
母校は語学教育が売りなのだが、語学教育の一環として外国語の授業の中に演劇があり、そのため構内に劇場がある。劇団の公演と日程が近かったので私は参加しなかったが、仏文科でも、フランス語でお芝居を上演していた。学内には帰国子女や海外留学経験者が多く、その当時としては、学生も外国文化に親しみがあった方だと思う。日本語とはいえ、シェイクスピアを上演するにはかなり恵まれた環境だった。
それでも、歴代の演出家は頭を悩ませていた。
そのまま上演したのでは観客に伝わらないと、分かっていたのだ。
たとえばある演出家は、芝居の最初と最後に、現代のサラリーマンのコントを挿入し、16世紀英国と現代日本をつなごうと試みた。また、脚本が書ける人は、オリジナル設定の人物達を創作し、登場させた(これは、女優余りを解消するための苦肉の策でもあったと思う)。他大学のシェイクスピア劇団の人が見に来て、「思ってたシェイクスピアと違ったよ」と言われたり……。
使っていた台本は、小田島雄志訳。出演しない作品でも、手に入る作品はひと通り読んだ。おかげで後年、ルネ・レウヴァン『シャーロック・ホームズの気晴らし』の中の「アドルトンの悲劇」を翻訳した際には、おおいに助けられた。シェイクスピアとマーロウの戯曲が出てくるのだ。「ハムレット」の代表的な台詞も、脳内では小田島訳で再生される(二十歳の記憶力って、すごいな……)。何種類か翻訳もあるのだが、引用には、なじみのある小田島訳を採用した。
小田島訳は、翻訳者泣かせである言葉遊びやダジャレをかなり上手く訳しているけど、それでもいまどきの大学生がそのまま演じるには「無理かも……」なこともあり。場面ごと手直ししたり、役者がオリジナルなコントを作っていた覚えがある(本筋じゃないのに、観客を笑わすのって大変……)。
日替わりでアドリブをかます役者もいたな。袖で見ていた私はこらえ切れず楽屋に駆け込み、「先輩がこんなセリフ言ってた!」と伝え、皆で爆笑したり(注・シリアスな場面だった)。
後年、歌舞伎を見に行って、役者がその当時話題の「イナバウワー」をアドリブで入れていて(絶対台本にはない)、「あ、歌舞伎の人も、こうやって古典にアドリブ入れているんだ」と思った覚えがある。
皆、今どうしているかな。
東北弁のシェイクスピアを、あの頃の仲間たちと見に行きたい。
そして、がやがやと感想を語り合いたい。