横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

英国一家、フランスを食べる

「英国一家、フランスを食べる」
マイケル・ブース
飛鳥新社(櫻井祐子訳)

 「英国一家、日本を食べる」でおなじみの英国人フードジャーナリストが、フランスの料理学校コルドン・ブルーで学んだ経験を1冊にしたもの。

 原題の「Sacré Cordon Blue」を直訳すると、「いまいましいコルドン・ブルーめ!」のような意味か。"Sacré"には「聖なる」という意味もあるが、「Sacré Blue」(何てこった)のもじりかと。

 

英国一家、フランスを食べる

英国一家、フランスを食べる

 

 

 「日本を食べる」で驚いたのは、英国人の著者が日本料理について、プロ料理人顔負けの知識で取材していたことである。だって、”あの英国”の人だよ!?

 フランスは美食の国と言われるのに、すぐ隣の英国は、料理のまずい国として悪名高い。私はフランスと英国の両方に滞在したことがあるが、残念ながら英国の飯はまずかった。英国にもうまいものがないわけじゃないのだが、食材の扱いとか、食べることへの関心とか、根本的なところから、フランスの後塵を拝している。

 


 著者が後に一流のフードジャーナリストとして活躍するための基礎力をつけたのが、コルドン・ブルーだったのだ。だが、ジャーナリストの姿を知っている今の読者としては「なぜ料理学校に?」という疑問もわく。著者は結局、料理人にはなっていないからだ。知識をつけるためだとしたら、あまりにお金と時間がかかりすぎる。そこには当時アラサ―だった著者の「仕事や生活を安定させたい」という迷いもあったようだ。

 料理修行の合間に、料理人へのインタビューの仕事も行い、業界の裏事情も聞いていく。フランス料理の世界では、人材(若者)の確保が大変だという。日本人など外国人の若者を研修生として安く雇うことで、何とか回している。

 その辺の話は、以前テレ東の「ガイアの夜明け」で見た覚えがある。フランス料理の修行をしたい日本の若手料理人を研修生待遇で雇うが、住居を用意したり、環境を整えて受け入れるというもの。昔は日仏間にワーキングホリデーもなかったし、テレビで紹介した制度も用意されていなかったし、日本の若手料理人は無給で働かされていたのだ。

 では、料理に興味のあるフランスの若者はどこへ? と思いきや、修業期間の短くて済む、外国料理であるラーメン業界などに流れているらしい。独立するまでの期間が短いというのは、ありがたいことなのだ。

 コルドン・ブルーで学んだ著者マイケル・ブースは、かなりの好成績を収めて卒業するが、実際に料理店で働き、厳しい現実に直面する。客としてうまいものを食べに来るのと、厨房で実際に料理を作るのとでは、全然違う。また、一軒目の店で目の当たりにした、悪い意味で男性的な社会に(今なら「パワハラ」と呼ばれるのではないか)、男性である著者も「ここでは働けない」と思い、修業の場所を変える。

 あくまで私の想像だが、前述のように、フランスの若者がフランス料理の世界からラーメンのような外国料理の世界へ人材流出した背景として、このような悪い意味でのマッチョな労働環境が嫌われているのではなかろうか? 映画「大統領の料理人」(記事はこちら)を見たときに、男ばかりの料理人たちの狭量さに「ああ、80年代め!」と思ったが、本書を見ると、現在でもあまり変わっていないのだろう。

 もっと働きやすい雰囲気の二軒目の店で修業するも、拘束時間の長さから、家庭を持つ著者は料理人になることを諦める。その後のジャーナリストとしての活躍を見ると、これはこれで良い選択だったのでは。

 社会人になってから、仕事を離れて学校に入り、学び直す。いわば二回目の青春を過ごしたわけだ。中にいる間は大変だったが、いざ卒業となると寂しくてたまらない。”第二の青春”日記としても読める。