横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

<ホームズ>から<シャーロック>へ 偶像を作り出した人々の物語

「<ホームズ>から<シャーロック>へ 偶像を作り出した人々の物語」
From Holmes to Sherlock  The Study of the Men and Women Who Created an Icon
マティアス・ボーストレム著
平山雄一監訳  ないとうふみこ/中村久里子訳  作品社 

 ようやく読了。夜、就寝前にちょこちょこ読んでページをめくる手が止まらず、それでもこの分厚さゆえに、二週間以上かかってしまった。

 

 本書の舞台となった時期だが、アーサー・コナン・ドイルシャーロック・ホームズ物語を発表する19世紀後半から始まり、BBC「シャーロック」が放送される21世紀初頭で終わる。原書はスウェーデンで2013年に刊行。

 これまで、作者のコナン・ドイルにせよ、映像作品の俳優たちにせよ、「表」側にばかり光が当たっていたが、本書では「裏」側にもしっかり光を当てている。出版であれば、編集者や挿絵画家、パスティーシュ作家、出版の実現のために奔走した人たち、映像であれば、脚本家、監督、プロデューサー、そしてやはり映像作品の実現のために奔走した人たち、などなど。

 また、研究書やパスティーシュも時系列で並べてみると、今までバラバラに読んできたものが、一枚の長い帯のよう。出版の世界にもトレンドがあるし、世相の影響は受けるので、「この年にこの本は出た」と並べると、「ああ、そういう背景があったのか」と興味深い。

 作者がスウェーデンの人だからか、英米のみならず、ドイツの贋作とかスウェーデンの出版事情とかロシアのドラマとか、ヨーロッパの出来事も結構紹介されている。英米人が書いたら、スイス(ホームズ物語の舞台だし、エイドリアン・ドイルの城もある)に言及する程度で終わったかも(しれない)。


 ドイツの贋作について、謎が解けた(p.110~)。この贋作はさまざまな言語に翻訳されたが、フランス語版については以前、『Les Maîtres du Mystère』という記事に書いた通り。ドイツ語は分からないので、どういう出版経緯だったのか、ようやく本書で分かった。

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 パスティーシュの歴史(?)も興味深い。ニコラス・メイヤーの『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』(The Seven-Per-Cent Solution)辺りから、実在の人物と絡めたり、独自のテイストの作品が出てきた。かねてからそういう印象を抱いていたけれど、やはりそうか。映画になると邦題が「シャーロック・ホームズの素敵な挑戦」に変更された。なんだかもう一度見たくなった。

 ミッチ・カリンの書いた『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件』が、出版当時ではなく、なぜか映画の公開直前になってから、コナン・ドイル財団から訴訟を起こされるくだりは、思いっきりデジャヴュ感がある……! 『エノーラ・ホームズの事件簿』の映画がもうすぐNetflixで配信の予定だけれど、現在こちらも同様のことが起きているのだ。

 なんかさ。初めはコナン・ドイル財団て、「コナン・ドイルの書いたホームズのイメージを守る守護天使」かと思っていたけど、近年のこういう手口は「何だいアンタ、今頃になって。お金欲しいのかい?うん?」て、詰めよりたくなっちゃうね。

 息子たちの遺産を巡るドタバタには、「君たち、パパのお金に頼らず、働きたまえ!」と説教したくなる。これを書いている今、ちょうどドラマ「名探偵ポワロ」を見ているところで、ひと昔前の欧州の「働かないで暮らしている人たち」が出てきて、遺産相続を巡って事件が起こるのだ。高い教育も受けられたのにねえ。いい仕事にも就けたはずなのにねえ。

 ロシアのホームズ事情も面白かった。まだロシア版ホームズは古い方も新しい方も見ていないのだけど、俄然見たくなった。ロシア語をしゃべるホームズかあ。ふふふ。


 そういえば。
 フランスのパスティーシュを読むと、頻繁にホームズのことを「Sherlock」呼ばわりするんだよね。小説上の技法として、繰り返しを避けるために、姓とファーストネームを代わる代わる出すのもあるけど。もちろん、日本語にする時は「ホームズ」にするけれど。他の欧州言語のパスティーシュも案外そうなっているんじゃないかな。