横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

わたしはこうして執事になった

『わたしはこうして執事になった』Gentleman's Gentleman~From Boot Boys to Butlers
ジーナ・ハリソン著 新井雅代訳 白水社 

わたしはこうして執事になった

わたしはこうして執事になった

 

 この前読んだ『おだまり、ローズ』(記事はこちら)が面白かったので、同じ著者の本を続けて読んだ。

  アスター子爵夫人付きメイドだったロジーナ・ハリソンが、前作の執筆にあたって、元同僚の男性使用人らに話を聞きに行った。自分の記憶を確認する作業でもあったが、同時に下男・執事という、男性使用人ならではの逸話や体験談がたくさん聞けた。その”取材”の成果が本書である。

 登場するのはゴードン・グリメット、エドウィン・リー、チャールズ・ディーンなど、アスター家で働いていた5人で、前作にも登場している。彼らはブーツボーイや下男などからキャリアをスタートし、経験を積み、働く屋敷を変え、少しずつ上の職務にステップアップしている。途中で屋敷勤めを辞めたゴードン・グリメット以外は、全員最後には執事になっている。

 5人の世代も違う。エドウィン・リーの子供時代はまだ19世紀末(ヴィクトリア女王の時代)で、最年少のピーター・ホワイトリーは1930年生まれのため、ロジーナが会いに行った1970年代は現役バリバリだ。つまり、本書の舞台は1880年代から1970年代まで数十年にわたるわけだが、誰もが口を揃えて言うのが、二度の大戦を経て、英国の貴族社会がすっかり変わったということ。

 彼らが仕えたのは貴族に限らず、裕福なアッパーミドルクラスの家庭もあった。それでも貴族の館で働くと、ミドルクラスとは比べ物にならない華やかな世界が待ち受けている。雇われている使用人の数は多く、主は屋敷を複数所有していたり、晩さん会には有名な招待客もやってくる。政財界の大物、貴族、時には王族も。

 労働者階級出身の使用人にとって、なんともまばゆい世界だった。途中でお屋敷勤めを辞め、外の世界で成功したゴードン・グリメットすら、懐かしそうに当時を振り返る。

 エドウィン・リーはある意味、輝かしい時代に働くことができたが、若いピーター・ホワイトリーは両親に聞いた話とのギャップに驚く。戦後は少ない使用人で切り回すようになり、流儀も変わり、一抹の寂しさを覚えたのではなかろうか。それでも、王室ファンのホワイトリーは、エリザベス皇太后を間近で見られて感激していたが、この仕事のご褒美のようなものだろう。

 

 ところで、「日の名残り」のスティーヴンスのモデルと思われるエドウィン・リーは、てっきりスティーヴンス同様、独身なのかと思っていたら、妻帯者だった。ただ、仕事の性質上、結婚したのはキャリアを築いた後で、やや晩婚だったが。お屋敷に勤めると、仕事優先、ご主人優先になってしまい、結婚生活と両立するのが難しかったらしい。ゴードン・グリメットは結婚を機に、強引に掟破りのような形で辞めて行った。


 本書に<ケドルストン・ホール>の名がちらっと出てくる。NHK「猫のしっぽ、カエルの手」に登場するベニシアさんのお母さんの実家だ。番組で、英国への里帰りに密着取材していたが、その時にここを訪れ、当主(ベニシアさんの親戚)とも会っていた。アスター家の<クリヴデン>はマナーハウス・ホテルになったが、カーゾン家の<ケドルストン・ホール>はナショナル・トラストに管理されている。

 現代では、貴族といえど、先祖から受け継いだ大きな屋敷を維持管理するのが難しく、多くの使用人を雇うのも大変なのだろう。


 私はもう1つのブログ(建築の島)で、明治・大正・昭和初期の近代建築を紹介しているが、日本もちょっと似ている。以前、東京・駒場にある旧前田公爵邸を見学したが、世が世であれば前田家は大名である。気軽な気持ちで洋館を訪れたら、予想外に大きくてびっくりした。部屋はいくつもあり、内装も豪華で、使われている建材も一級品で圧倒された。「ヨーロッパで訪れた城館みたいだな」と思ったのを覚えている。

 貴族の屋敷でなくとも、日本各地を回っていると、それぞれの街の名家の屋敷というのが博物館や郷土資料館になってたりする。和風建築ではあるが、やはり敷地も含めて広大で、大体「かつては多くの使用人がいた」という解説がついている。どこかのタイミングで、子孫の方が地元に寄贈して、一般人が見学できるようになった。やはり維持管理が大変だったのだろうと想像する。

 そんな屋敷も、昔を知る人(子孫とか、働いていた人)に聞けば、きっとこう言うだろう。
「ええ、あの頃はお客様も多く、使用人も多く、活気がありましたよ」と。
まるで本書に登場した執事たちのように。懐かしげに。

 

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