横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

おだまり、ローズ

『おだまり、ローズ 子爵夫人付きメイドの回想』The Lady's Maid
ジーナ・ハリソン著 新井雅美訳 白水社 

おだまり、ローズ: 子爵夫人付きメイドの回想

おだまり、ローズ: 子爵夫人付きメイドの回想

 

 ドラマ「ダウントン・アビー」、映画「日の名残り」の世界を思わせる、20世紀前半の英国貴族そして使用人の暮らしぶりがうかがえる。19~20世紀の英国文学や、この時代を舞台にした映画を好きな人には必読の書。面白くて、一気に読んでしまった。

 

 著者であるメイドのロジーナ・ハリソンは、「旅行をしてみたい」という動機から、何軒か貴族の屋敷で奉公したが、彼女が最後に長年仕えたのは、子爵夫人にして、英国初の女性国会議員となったナンシー・アスター。邦題の「おだまり、ローズ」が口癖である。

 米国出身だが英国貴族の妻となり、やがては議員にもなってしまったアスター夫人の経歴もユニークだが、そのキャラクターもかなり強烈。ロジーナが来るまでは、結構メイドも代わっていたもよう。ロジーナも”口撃”を受けるが、負けてはいない。丁々発止やり合ううちに、いつしか厚い信頼を勝ち得る。

 貴族と庶民、雇い主と使用人の立場を超えて、2人が友情に近い関係を築いたのは、やはり第二次世界大戦の日々が大きい。アスター夫人の夫であるアスター子爵がプリマス市長になったのだが、その間にプリマスの街はドイツ軍から激しい爆撃を受ける。アスター子爵夫妻は被害状況を視察し、焼け出された市民を助けるために奔走する。もちろん、屋敷にも爆弾の雨は降ったが、彼らは郊外に移り住み、指揮をとった。

 アスター夫人は頭の切れる女性だったが、困っている人々の声を聞き、手を差し伸べた。いきいきと活躍する姿に、ロジーナは「私の英雄」と呼ぶ。ロジーナもまた、アスター夫人の手足となって献身的に働き、爆撃があった際にはロジーナが亡くなったと思ったアスター夫人は半狂乱になる。階級や身分を超えて、対等な人間同士として接することができたからこそ、なのだ。

 

 アスター夫人が米国出身だったため、ロジーナは欧州だけでなく米国も訪れることができた。旅行は裕福な身分の人にしか許されなかった時代だ。使用人の目線で記した旅の様子が面白かった。労働者階級でこれだけ見事な文章が書けるのだから、彼女もまた聡明な女性だった。女性使用人だからこそ、衣装やお召替え、お直しのことなど、男性使用人だったら見られなかった世界も書くことができたのが貴重だ。


 アスター家は屋敷をいくつも所有し、その中の1つ<クリヴデン>は、息子ビリーの代になってからスパイ事件「プロヒューモ事件」の舞台となった。老母ナンシー・アスターの耳に、この事件の騒ぎを一切入れるまいと、使用人や友人らが協力するのが凄い。当時のメディアがラジオと新聞しかなかったからこそ、出来たのだろう。

ja.wikipedia.org

 この屋敷<クリヴデン>は、現在マナーハウス・ホテルとして利用されている。

www.british-made.jp

 アスター家の名執事リーは、正統派の執事らしい執事で、なんだか「日の名残り」の主人公スティーブンスを思い出すなあと思っていたら、どうやら本当にスティーブンスのモデルだったらしい。ロジーナ・ハリソンは『わたしはこうして執事になった』という、一緒に働いたリーやディーンなど執事についての本も書いているので、これまた読まなくては。 

わたしはこうして執事になった

わたしはこうして執事になった