横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

下駄で歩いた巴里

『下駄で歩いた巴里』
林芙美子 岩波文庫 

林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里 (岩波文庫)

林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里 (岩波文庫)

 

  少し前に、文化財建築巡りの一環で、旧林芙美子邸を見学してきた(こちら)。そういえば林芙美子って、パリに行っていたのか。パリ滞在記も書いているが、まだ読んでいなかったなあと思い、読んでみた。

 

 『放浪記』の大ヒットで大金を手にした彼女は、1931年(昭和6年)、シベリア鉄道に乗ってパリを目指す。満州事変が起きた直後で、中国、ロシアの辺りは何やらきな臭い。当時28歳で、若い日本人女性が一人でシベリア横断をしたわけだ。帰りの旅費も持っていない。

 シベリア鉄道では、多国籍な旅客(女性だけでなく、男性も!)と同室になる。ロシア語はできないので、会話は片言だが、なんとなく意思の疎通をはかっているところがすごい。出会ったのは貧しい庶民が多く、日本国内で開催される共産党主義者の大会に集まる知識人、つまり社会の上層部の人たちは何もわかっていないと看破する。こういう三等車に乗っているようなロシアの庶民を呼べばいいのに、と。

 あちこちで兵隊を見かけ、戦争の足音が聞こえる。時には怖い思いもするけれど、大都市では新聞社の記者などの駐在員が駅まで迎えに来ていたりする。ベストセラー作家ならではの待遇でもあるが、この時代、欧州へ渡航する(組織に所属しない)一般の日本人はそう多くないし、どうしてもつてを利用せざるを得ないのだろう。


 パリとロンドンに滞在するが、やはりフランス語も英語も片言。それでも現地に住む日本人を頼り、アパートを借りて住む。庶民的な界隈に住み、出会うフランス人も庶民が多い。ここでも片言でコミュニケーションをとり、友達になる。下町のパリの描写が、映画「巴里の屋根の下」のまんまの世界なのが面白い。

 この当時パリにいた日本人には駐在員もいるけれど、留学生、画家も多い。もちろん、それ以外にも林芙美子のように「行きたいから行った」日本人もゴロゴロいた。20世紀はじめのパリには磁力があったのだ(「フランスかぶれ」の誕生)。

 本当は、自由な時間を使って、もっとたくさん仕事をしたかったのだろう。滞在中、原稿を書いてはいるけれど、ところどころ「今日は何も書けなかった」と反省が。日本人との付き合いであちこち出かけ、意外と自室で静かに机に向かう時間を作れなかったらしい。この反省は、帰りにマルセイユから神戸行きの船に乗ってからも出てくる。

 その反省というか後悔は、とてもよく理解できる。私は語学留学中、「会社員から学生になって時間ができるだろう」と大量の本を持っていったのだが(それも郵送したのだ)、全部読破できなかった。他の日本人学生が「貸して~」と読んでくれたので、まだ人の役に立てたが。それでも向こうにいる間に「あれもやろう、これもやろう」と計画したことは、全部は実現できなかった。なんなんでしょうね、あの現象は。


 今川英子『巴里の恋』(中央公論新社)も併せて読んだが、パリでの日記の部分は重複するのだが、目を引いた箇所がある。


1932年の日記より
八月二十三日(火曜日 mardi)
夜、犯罪科学の仕事をする
雑文は心かなしき古ほごなれど、修行と云ふものは、真面目な小説ばかりではない
何でも持つてゐらつしゃい


 「犯罪科学」って、林芙美子はミステリも書いていたっけ? 気になって検索すると、雑誌「犯罪科学」は、武俠社から出ていた「犯罪学、法医学の研究報告を軸に探偵小説、犯罪実話、古今東西の猟奇譚などを混在させた総合雑誌」とのこと。

www.fujishuppan.co.jp

 そこに寄稿していたらしい。確かに、純文学とはかけ離れた世界だが。


 フランスに長期滞在した人の体験記は、作家の辻邦夫、須賀敦子遠藤周作佐藤亜紀など、色々な人の書いたものを読んだ。自分が訪れた時期と違うので、「パリの定点観察」のつもりで読む。戦前のものはまだあまり読んでいないので、もう少し探してみたい。