横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

優雅なハリネズミ

『優雅なハリネズミ』L'Élégance du hérisson
ミュリエル・バルベリ 早川書房 

優雅なハリネズミ

優雅なハリネズミ

 

  日本に「本屋大賞」という、書店員の選んだ本の賞があるが、フランスにも同じようなもの (prix des libraires)が存在する。本書は2006年の刊行後、じわじわ売り上げを伸ばし、フランス版本屋大賞ほか多数の賞を受賞した作品。ようやく読むことができた。

 
 主人公ルネは、高級アパルトマンの管理人。自分のことを「学歴がなく常に貧しくて地味で凡庸な人間で……」と言うけれど、実は知的で教養がある女性。もう一人の主人公パロマは聡明な12歳の少女で、ルネの正体を看破し、知性を隠すさまを「優雅なハリネズミ」と形容する。

 パリ16区は高級住宅地で、このアパルトマンの住人たちもハイソな人々が多い。知識人のはずが、実際は中身がスカスカで、パロマの姉コロンブの書いた修士論文がトンチンカンなことに、ルネは気づいてしまう(そんな管理人、めったにいないわ!)。

 パロマは聡明すぎて、周りの大人たちの馬鹿さ加減に耐えられない。経済的にも社会的地位にも恵まれているはずなのに、カウンセリング通いが止められない母親とか、おバカな姉やその彼氏にうんざりする。自殺まで考えるけれど、学校にはマルグリットという素敵な友達がいる。彼女も頭の回転が速い子で、意地悪なコロンブをウィットでやり込める(なかなか痛快)。

 パロマは孤独な子供と思いきや、マルグリットという味方がいるじゃん。それじゃダメなのかな。

 

 ルネは読書や映画が大好きで、特に古い日本映画が好き。小津安二郎監督の「宗形姉妹」に出てくる台詞も覚えている。有名な「東京物語」とかじゃなくて「宗形姉妹」とは、なかなか渋いな。

 あるとき、アパルトマンに新しい住人が引っ越してくる。オヅという日本人で、小津安二郎の遠縁だということが後に判明する。ルネとオヅ氏を結びつけるのは、なんとトルストイの作品! 小説からの引用で、オヅ氏もルネの教養を見抜いてしまう。 

「ほら、幸せな家庭というものは、どこも似かよっていますから」(ルネ)
「だが、不幸な家庭というのおはそれぞれに不幸のおもむきがちがうものだ」(オヅ氏)

 これをきっかけに、ルネとオヅ氏の交流が始まる。オヅ氏に救われたのはルネだけではない。パロマは日本の漫画が好きで、エレベーターでオヅ氏と日本語で言葉を交わし、お茶に招待されるのだ。パロマが好きな漫画家の谷口って、たぶん谷口ジローだろうな。フランスの知識人はその辺が好きだから。

 また、家庭に居場所のないパロマは、ルネの部屋にやってくるようになる。ようやく、お互いに会話レベルの合う人と出会えたのだ。

 ルネはオヅ氏に夕食に誘われ、親友のマニュエラからワンピースを調達したり、美容院で髪を切ったりしてマダムに変身。映画なら、変身ぶりが鮮やかに描かれただろう。

 やがてレストランでの食事にも誘われるが、ここでルネはおじけづく。遠慮からではない。恐れからだ。自分は労働者階級の人間なのに、上の階級の人と対等に交流してはいけない。なぜならその昔、姉が不幸な目に遭ったから――。

 迷った挙句、ルネは誘いに応じる。オヅ氏から、レストランに出かけるための素敵なストールやらを贈られる。

 素敵な展開だっただけに、ラストはいただけない。『サーカスの犬』(リュドヴィック・ルーボディ)を読んだ時みたい。あのままで良かったのに。

 

 この小説は後に「Hérisson」の題で映画化された。主人公ルネを演じるのは、ジョジアーヌ・バラスコ。映画「美しすぎて」で、美女(キャロル・ブーケ)と結婚した男(ジェラール・ドパルデュー)が浮気する、中年女性を演じた女優だ。

Le Hérisson (film) — Wikipédia

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 ある年代以上の欧米文化人って、日本映画のイメージがひと昔前で止まっている気がする。小津安二郎溝口健二黒沢明などなど。英国の女優ヘレン・ミレンなんかも、取材でこの辺りの映画人の名前を挙げていた。多少はカンヌ映画祭で日本の作品が受賞するけれど、まだまだ往年のイメージを塗り替えるほどには至っていない。作家カズオ・イシグロの日本を舞台とした作品が、小津映画の世界のようだったけれど、それと同じ。

 谷口ジロー(たぶん)の漫画、小学生が好むには渋すぎないか? 明らかに作者(大人)の趣味でしょう。日本よりフランスで人気がある、そんな漫画家なのに。2000年代でも、もっと幅広い日本の漫画がフランス語に翻訳されていて、子供から大人まで読んでいるのに。『名探偵コナン』じゃダメなのか? 謎解きだし、頭の良い子は好きそうだけど。

 物語を動かす紳士の役で日本人を出してくれて、また、日本文化を好意的に描いてくれてありがたいけれど、日本のイメージが「なんか古いな~」と感じてしまった。