横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

ドリーミング村上春樹

「ドリーミング村上春樹
監督:ニテーシュ・アンジャーン
出演:メッテ・ホルム

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 以前、こちらの記事(Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち)にも書いたが、私はハルキストではない。ノーベル文学賞の発表で一喜一憂することもない。日本の作家で、これほど外国語に翻訳されている人はいない。それが興味を抱く理由。

 

 前述の本では英語へ、今回の映画ではデンマーク語への翻訳が主題。デンマークでは、以前は英訳からの重訳の形で村上作品が読まれていたが、そうなるとベースになっているのがアメリカ英語なので、どうしてもアメリカのテイストが入ってしまう恐れがある。日本語からデンマーク語に直接訳す意義が、そこにある。単純に、日本の小説を欧米言語に翻訳するだけでも結構大変だと思うが、よりによって(?)村上春樹の作品である。翻訳者の苦労は、想像に難くない。


 映画の主人公は、村上春樹以外にも現代日本文学の翻訳を手がけるメッテ・ホルムさん。日本文学に興味を持つようになったきっかけや、村上作品にも登場する東京や芦屋の風景、あるフレーズの翻訳をめぐり、同業者に相談し、ぴったりの訳語を探し求める姿が描かれる。

 同時に、短編「かえるくん、東京を救う」に登場する<かえるくん>が出没し、日本語の朗読が流れる。<かえるくん>は日本語で話しているが、機械的で抑揚に違和感がある。パラレルワールド感を出すため?

 村上作品は50言語に翻訳されているというだけあって、メッテ・ホルムさんの相談相手の同業者は、ノルウェー、ドイツ、ポーランドの翻訳者。いずれも村上特有の言い回しに頭を悩ませたであろう人たちばかり。同じ作家の同じ作品について翻訳の相談ができてしまうなんて、羨ましい。普通は共訳でもないかぎり、なかなかできない。それだけ村上作品が世界で読まれているという証だけれど。

 村上春樹は翻訳者の質問は答えてくれないらしい。かといって、そこらの日本人をつかまえて質問しても、解釈が難しい。ネイティブだからといって、必ずしもその人が正確に、作者の意図した通りに読みとれるという保証はないのだ。あるいは本当に「正解」はないのかもしれない。

 デンマーク語版の装丁をめぐり、翻訳者が意見できるなんてびっくり。(おそらくはこの出版社から)何冊も本を出してきた実績からなのか、はたまたデンマークでは翻訳者の地位が高いのか。あるいは、かの国における村上ワールドの最大の理解者として、彼女の意見を求められたのか。


 映画は、コペンハーゲンにある王立図書館での対談が始まる直前で終わる。村上のアンデルセン文学賞受賞を記念してのもので、2016年秋だろう。イベントに先駆けて翻訳を出版できるよう、出版社も準備万端。ここまで言葉と格闘してきた軌跡を見てきたので、この2人の対談を見てみたいなと思ってしまった。ことに村上自身、翻訳者でもあるので。どんな濃密な会話が繰り広げられたことだろう。


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