横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

最強の女性狙撃手

「最強の女性狙撃手  レーニン勲章を授与されたリュドミラの回想」Lady Death
リュドミラ・パヴリチェンコ 原書房 

最強の女性狙撃手:レーニン勲章の称号を授与されたリュドミラの回想

最強の女性狙撃手:レーニン勲章の称号を授与されたリュドミラの回想

 

  リュドミラ・パヴリチェンコ(1916-1974年)は、旧ソ連の女性狙撃手。第二次大戦中、ソ連軍とナチス・ドイツとの戦闘で、独軍兵士309名(そのうち36名は狙撃手)を射殺した、「女ゴルゴ13」みたいな人物。写真を見ると、若い女性ながら、精悍でりりしい顔つき。

  本書は、退役後に歴史学者となったリュドミラが執筆した自伝だが、「Lady Death(死の女)」の英題で英訳され、それがさらに和訳されたもの。彼女の生涯は映画になっている(「ロシアン・スナイパー」)。

 本書を読んで驚いたのは、リュドミラと同じような女性狙撃兵が何人もいたこと。リュドミラ自身は勤務先の工場にあった射撃クラブがきっかけで射撃を始め、その魅力に取りつかれる。やがてオソアヴィアヒムの狙撃学校に入ると、女生徒も少なくないうえに、元軍人の教官からは「女性の方が狙撃手に向いている」と言われる。教官曰く

 

女性は忍耐強く観察力があり、生まれながらにして直観力にすぐれている。軍事課程を学ぶさいに、女性はあらゆる教えを正確に身に着け、しっかりと考えて慎重に射撃のプロセスを行う。また戦場の狙撃手にとって偽装を工夫することは非常に重要であるが、その場合も女性にならぶものはない。 

 

 配属先は違うが、同僚の女性狙撃手ニーナ・オニロヴァも出てくる。1942年に戦死するまで、かなりの活躍を見せ、女性狙撃手として赤軍で有名人になったのは、ニーナの方が先だった。

 赤軍はわりと男女平等な組織だったようで、リュドミラもニーナもどんどん昇進していく。もちろん、現場の兵士には、看護兵ではなく狙撃兵や上司として彼女らのような若い女性が現れると驚きを隠さず、中にはセクハラめいた言動もするが、上官が優秀かつ紳士で、実力を評価したのだ。


 オデッサの防衛戦、撤退をへて、セヴァストポリでの戦闘に従軍するが、何度も負傷している。偵察に出たり、前線に近いところにいるので、撃つ側だけでなく撃たれる側にもなりやすい。幸いすぐに手術を受け、命をとりとめている。彼女のような優秀な狙撃兵を育成するべく、途中で教官に任命されなかったら、ずっと前線で戦っていたら、リュドミラもニーナのように戦死しただろう。

 二番目の夫となるアレクセイ・キツェンコとの出会いと、短い結婚生活はあっけない。戦争のただ中のため、出会ってから結婚までの期間が早い。だが別れも早かった。ある朝、砲弾が飛んできて、リュドミラをかばったアレクセイは手術の甲斐なく、命を落としてしまう。晩年、セヴァストポリでの式典に参加したリュドミラは、アレクセイが埋葬された墓地を訪れ、墓参りをする。色んな男性に口説かれたが、生涯再婚はしなかった。


 1942年、前線を離れた彼女は、同盟国だった米国へ同僚の若い兵士(もちろん男性)2名と共に派遣される。資金援助の要請もあったが、参戦を促すためだ。道中のことをこう書いている。

 

ふたりはいい人たちではあったが、狙撃手とは一匹オオカミだ。狙撃手は周囲の変化を観察する。そのための静けさ、平穏さ、考えるための時間を必要とするのだ。 

 

 今なら「ハンサム・ウーマン」と呼ばれるだろう。

 物静かで、大学で学ぶような知的な彼女にとって、こうやって見世物のように人前に出るのは居心地が悪かっただろう。だが、唯一の女性であるため(若くて容姿も良い)、リュドミラはマスコミの注目を集めてしまう。参戦していない米国のマスコミは、バカな質問を連発して、彼女をうんざりさせる。後に渡英すると、英国のマスコミは真面目な質問しかしないので、ナチス・ドイツの脅威の近さ(英国は爆撃を受けていた)だけでなく、国民性の違いもあったかと。

 そんな米国ツアーで、大統領夫人のエレノア・ルーズベルトと出会い、年齢や国籍、立場を超えた友情を結ぶ。なにくれとなくリュドミラを助けてくれる。もともと英語を学んだことのあるリュドミラは、めきめきと英語を上達させ、通訳なしでもエレノアと話し、時にはスピーチやインタビューでも英語で話す。ライフルを撃って見せるときは、サーカスみたいな居心地の悪さを感じたかもしれないが。

 

 私が物心ついた時には、米ソは「東西冷戦」の最中だったので、こうして米ソが同盟国だった時代の記述を読むと、不思議な感じがする。ジョン・ル・カレのスパイ小説や自伝を読んだ後で、連合国側がどれだけナチス・ドイツを憎んでいたかを知るにつけ、米ソの不和が悲しい。ナチス・ドイツを倒した功労者は、地上戦に関していえば、大勢の犠牲者を出したソ連だった。その犠牲の大きさが本書でリアルに伝わってきただけに、いっそう感じる。


 森番の老人ヴァルタノフの話も興味深い。ドイツ軍に家族を殺された復讐心から、赤軍の偵察に協力し、やがて狙撃兵の仲間になりたいと、従軍するのだ。

 また、トルストイの『セヴァストポリ物語』は読んだことがないが、気になった。本書に名前が出てくる狙撃兵ヴァシリ・ザイツェフは、映画「スターリングラード」に描かれた人物。


 分厚い本だが、一気に読んでしまった。戦場での場面は臨場感があり、手柄を立てた喜び、仲間を何人も失った悲しさなど、どこをとっても目が離せなかった。リュドミラ自身の構成や文章が巧みなのだろう。

 この時期を切り取って自伝にまとめたのは、第二次大戦中の女性狙撃兵の記録を残そうという歴史学者の視点もあっただろう。なにしろ終戦後、育成した優秀な狙撃兵は出番を失ってしまったうえに、戦争の方法が変わり、ロケット砲や原爆などが登場したのだから。

 だがそれだけではない。狙撃兵として天賦の才能があり、「生来の狩猟本能」の持ち主だった彼女が、自身がもっとも能力を発揮し、活躍できる場所にいた、輝かしい1年間を切り取って描いたともいえる。

 

 本書に名前が出てきた米フォーク歌手ウディ・ガスリーの、「Miss Pavlichenko」という歌。

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