横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

秘密諜報員サマセット・モーム

『秘密諜報員サマセット・モーム
田中一郎 河出書房新社 

秘密諜報員 サマセット・モーム

秘密諜報員 サマセット・モーム

 

  『英国諜報員アシェンデン』(記事はこちら)に続いて読んでみた。

 著者は、大使館に勤務経験のある外交官。仕事で海外を訪れた機会を利用して、モームゆかりの地を訪れ、文献(和訳されていないものも多数)をあたり、現地調査してきた。

 

 モームの諜報活動についての推理、分析が鋭い。外交官ならではの考察には、あくまで著者の個人的見解ではあるし、全部が指摘の通りだったとは思わないが、とても説得力がある。

 『アシェンデン』を読んだ時、主人公がロシアのペトログラードを目指すのに、米国から日本、シベリアを経由したことが不思議でならなかった。英国からそのまま大陸へ渡った方が早いはずだ。本書を読み、日本で、独立を目指すチェコ人活動家と接触したとの記述に、「あっ」と思った。当時日本に住んでいたチェコ人の中に、建築家ヤン・レツルがいた。広島県物産陳列館(後の原爆ドーム)などを設計した人物で、NHKドラマ『ヤン・レツル物語』を見た覚えがある。彼を含む在日チェコ人の一部は、『アシェンデン』にも出てきたマサリック教授とつながりがあった。

 第一次世界大戦に日本も参戦した背後に、ロシアと中国をだしにした列強諸国の思惑(日本に軍事資金を浪費させ、軍事力を弱体化させること)があったことが垣間見えて、その後の第二次世界大戦を知る者として、うすら寒い思いがした。

 第二次世界大戦勃発前、モームは小説の取材のため太平洋地域(『月と6ペンス』)、アジアを訪れているが、その裏には日本について探るという狙いがあった。また、米CIAとも関わりがあったり、ナチスドイツがフランスを占領した際には、ゲッベルスによって在仏だったモームの逮捕命令が出されるなど、当初思っていたのより、モームが大物スパイだったことに驚きを隠せない。


 本書を読んで、いくつか謎が解けた。
 『アシェンデン』では、第一次世界大戦中の諜報活動が描かれているが、どういう経緯でモームが軍医から諜報員に転身したのかという点。スカウトされたのかと思いきや、自分で売り込んでいたとは! また、数か国語に堪能だったのが有利に働いたとあり、フランス陸軍で暗号解読に従事した犯罪学者エドモン・ロカールを思い出した。彼もまた数か国語に通じており、フランス陸軍の場合は「5つ以上の言語に堪能なこと」という基準があった。英国陸軍も同様だったのかもしれない。

 また、『アシェンデン』はどの程度実話だったのかという点。本書によると、かなり実話に近く(!)、そのためいくつかの短編は削除されたうえ、刊行が数年遅れたという。もちろん、国家の介入だ。「よく諜報活動について小説に書けたなー。よく出版できたなー」と思っていたが、いくらなんでもそのまま発表するのは無理だろう。

 そして「007」シリーズの上司Мは、やはり『アシェンデン』のRがモデルだった。


 本書に不満もある。
 モームが文壇で不遇だった理由やら、不幸な結婚生活の原因やら、なんでもかんでも「モームがゲイだったから」と結論づけるのに辟易した。現代なら、バイセクシャルは認識されている。本書が出たのが1996年。欧米なら、アーティストでバイセクシャルであることをカミングアウトした人、あるいは発覚した人も結構いたはずだ。無理にヘテロセクシャル異性愛者)かホモセクシャル(同性愛者)に分ける必要はないだろう。

 『お菓子とビール』のロージーのモデルとなった女優との恋愛も、「(同性愛を隠す)世間へのカムフラージュだった」という説は、どうも納得がいかない。彼女をモデルとしたキャラクターは小説に何度か登場したし、ロージーの描かれ方などを見ると、かなり好ましい印象を抱いていたように思われるのだ。ロシア美女のサーシャについても同様。

 ベストセラー作家であるにも関わらず、また海外でも評判が高かったにも関わらず、英国の文壇でモームの評判がよろしくなかったのは、鋭い観察者として物事を見ることができ、またドイツ留学を機に、英国上流社会のコードを捨てることにしたモームが、今でいう「空気を読まない」言動をしたことが大きいような気がする。本書で、あるディナーの席でのモームの発言が雰囲気を壊したという記述に、私はシャーロック・ホームズを思い出してしまった。特にBBCドラマ「シャーロック」の、観察力があり、空気を読まないシャーロック・ホームズの姿を。


 フランス作家に関する疑問点。
 モームのアジア旅行の背後には諜報活動という目的が隠されていたらしいが、それは英国人のモームだけではない。インドシナ半島がフランス領だった頃、フランスの作家アンドレ・マルローも考古学調査のため、カンボジアプノンペンに足を踏み入れている。著者は、マルローがフランスの情報機関・第二局に所属していたのではないかと書いているが、私(仏文学専攻)はそういう説は初めて聞いた。

 ただ、「アラビアのロレンス」のように、中近東で考古学調査を行いながら諜報活動を行う西洋人は少なからずいたので、インドシナ半島などアジア地域でも同様のことは行われていたのだろう。

 マルローはカンボジアでの経験をもとに、『王道』という小説を書いているが、諜報活動のことなんて出てこない。フランスへ帰国後、ドイツに占領されたフランスでレジスタンス活動に身を投じたが、そちらは小説に書いている。マルローがカンボジアで諜報活動を……というのは魅力的な仮説だが、だったらなぜ小説にしなかったのか。書くとさわりがあるからか。それともモームのような人が例外なのか。いずれにせよ、もう少し確証が欲しい。

 

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