横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

銀河を渡る 全エッセイ

『銀河を渡る 全エッセイ』
沢木耕太郎著 新潮社 

銀河を渡る 全エッセイ

銀河を渡る 全エッセイ

 

  これまでに発表された文章の中からエッセイを選んで1冊にまとめたもの。発表時期は25年間に及ぶ。

 

 香港返還当日を描いた「マカオの花火」。著者は思いがけず、その日香港に滞在することになり、でも知り合いに会うのが嫌で、マカオから花火を見ていたという。

 偶然だが私はその日、香港を中国に返還する側の英国にいた。少し前からメディアに「Handover」の文字が踊り、式典の模様がテレビ中継された。最後の総督であるクリス・パットンが涙ぐむのを見て、東洋人である私は「中国の領土を中国人に返すのに、なぜ英国人のあなたが涙を浮かべるのだ?大英帝国の終焉に?」と鼻白んだ覚えがある。

 昔、90年代の香港映画を見ていて、香港返還後の生活に不安を感じて、海外移住しようと主張する者と、残ろうと言う者とで、家族で言い争う場面が出てきた。映画の中とはいえ、あの家族はその後どうしたんだろうと思ってしまう。


 「勝負あり」は、Jリーグ創世期の話。沢木さんは世代的に、野球とサッカーだったら野球派。少年たちの間で野球からサッカーに人気が移っている、しかも「野球はルールが難しすぎる」という理由だということにショックを受けている。

 反対に私は野球に全然興味がなく、Jリーグが始まってからサッカーを見るようになった。「キャプテン翼」を読んでたので、そのせいかもしれない。「キャプテン翼」はアニメ化されたので、子供たちはその影響も受けていると思う。

 2019年現在、日本人の野球選手が何人もメジャーリーグで活躍しているので、「野球の未来について、そんなに悲観しないでくださいよ」と沢木さんに言いたい。

 でも今思うと、Jリーグ開幕当時から浦和レッズのサポーターにおじさんが多いのって、結構すごい事なんだな。世代的に野球派が多いだろうに。かつて埼玉は高校サッカーが強かったというのもあるけど、浦和は文教都市なうえに東京に近くて……とか要因は色々あるだろうな。


 「彼の言葉」「銀座の二人」には、映画評論家淀川長治さんとの交流録が。淀川さんといえば、独身でホテル住まいで、映画に人生を捧げた生き方で知られる。私は沢木さんの映画レビューが大好きなのだけれど、けして映画専門でレビューを書いてきたわけじゃない沢木さんに、映画一筋だった淀川さんがかける言葉が可笑しい。せっかく飛行機で映画をやってるのに見ないのは「もったいないのねえ」。妻子の待つ家で夕食をとる沢木さんに「じゃあ、だめね」。

 前者はわかるけど、後者の台詞は……?

 真意は探りかねるけれど、沢木さんの映画レビューは、淀川さんとの出会いで磨かれ、鍛えられた部分もあるのかもしれない。


 「スランプってさあ、と少年は言った」は、公園ですれ違った少年の言葉が元になっている。あまりハードそうでない、ゆるい部活動らしき少年たち(高校生か?)が「スランプってさあ、あれは次に成長するための心の準備期間なんだって」「そうか、救われるなあ」。ゆるい部活動で、スランプかよ!漫画の台詞かな。

 それを聞いた沢木さんは、書く方のスランプはこれまでなかったけれど、この頃(2011年のエッセイ)は、読書する方でスランプに陥ってることを明かす。「最近は、なかなか本が読めないだけでなく、読んでも、以前のように心が動かない」。これを書いたのは著者が60代になってから。今の自分はそれより若いが、身につまされる。まだ沢木さんは映画を通じて新しい作家と出会っているが、自分は映画の方も、以前より見る本数が減っているから、作家でも映画でも、何か良いものを逃していないか気になる。


 「ふもとの楽しみ」は、皆が皆てっぺんを目指すばかりが幸せじゃないよという、田辺聖子さんの文章から来ている。著者とは家族ぐるみで交流があり、田辺聖子さんもチャーミングだが、その夫である「カモカのおっちゃん」もなかなか味わいのある人だ。


 「深い海の底に」は、高倉健さんに演じてもらおう、読んでもらおうと思って書いた本が、高倉さんの生前には間に合わなかった話。「いつか実現したいね」ぐらいの、具体的な締め切りがない企画の場合、かなり強い意志がないと完成までこぎつけるのは難しい。売れっ子作家で、取材で各地を飛び回る沢木さんには、たとえその気があったとしても、時間的に難しかっただろう。

 昔出した訳書について、私にも「この人に読んで欲しかった」けど間に合わなかった人がいる。フランスが大好きな年配の女性で、本を出した頃には体調を崩されたとかで、ミステリの集まりには来なくなっていた。その少し前には、フランスに関する本やポストカードを処分していて、私にも分けて下さった。英国ミステリもフランスも好き。そんな彼女なら、あの本を喜んでくれただろうに。もう何年か早く、出版社に企画を持ち込めば良かったか。

 最近重い腰を上げて、手持ちの洋書を少しずつ読んではレジュメを書いたり処分したりしている。動機は断捨離だったり、運が良ければ企画にできるかもという欲もあるが、「間に合わなかった」心残りも多少はある。


 私が今、こうしてブログで雑文を書いているのは、沢木耕太郎さんの影響である。若いとは言い難い年齢になってから『深夜特急』を読み、夢中になった。さすがにそのまま旅に出たりはしなかったけど、若い頃に経験したあれやこれやを、年をとってから書いても良いのだと励まされた。そんなわけで、このブログにはときおり昔話が出てくる。

 後に、沢木さんが旅をしたのが26~27歳の時だったと知って驚いた。自分が新卒で入った会社を辞めて、1年間語学留学に行ったのも、ちょうど同じ年齢だったから。当時まだ『深夜特急』は読んでいなかったし、影響は受けていないけれど、1年間海外をぶらぶらするという、似たような体験を知らずにしていたとは。

 語学留学の経験がその後の翻訳の仕事につながったし、後悔はしていないけれど、こんな旅の本を読むと、「語学は初心者じゃなかったんだし、留学はそこそこにして、残りは旅をしても良かったんじゃ…?」という思いにさいなまれる。ヨーロッパの隅々まで、お金をかけず、ユースホステルを転々としながらの貧乏旅行。当時、あちこちの宿で日本人バックパッカーに会った。半分留学生で、半分旅人の暮らし、やろうと思えばできたのに。

 もう今では体力的に、そんな旅はできない。会社勤めではないけれど、家族をほったらかしにして長期間海外を放浪するのは、色々と差しさわりがある。宿とか食事とか、どうしても当時よりグレードが上がり、お金もかかり、他の旅行者との交流も生まれないだろう。何より、何を見ても驚く20代の感性がない。

 だから「あの時、行っておけば……」というのは、紛うことなき本心である。

 

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