横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

アーカイブ:パリ~ホームズゆかりの場所

 アヴィニヨン(こちら)に続いて、パリ。以前「アーカイブ」で紹介した場所(博物館とか)と比べると、観光スポットではないし、地味すぎて躊躇してしまうのだけれど、載せておきます。 

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 パリ警視庁

 聖典には登場しないが、ホームズは何度かフランスの警察と協力して事件を解決している。当然、パリ警視庁にも足を運んだだろう。シテ島のオルフェーブル河岸に位置し、フランスのミステリで「オルフェーブル河岸」と言った場合、パリ警視庁を指す。

 <フランス・ホームズゆかりの場所>「ホームズの世界22」所収(1999年)


 日本でいうと「桜田門」に相当するのかな。
 なぜオルフェーブル河岸に行ったかというと、メグレ警部とか、色々なミステリに登場するから。

 

 

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北駅

「最後の事件」で大陸に向かったホームズとワトソンは、モリアーティ教授の追手を撒くため、カンタベリで汽車を降りた。2人の荷物はそのままパリに送られ、モリアーティ教授一味は見張りをしたと思われるが、それはこの駅。
 この他の事件でもホームズは何度もフランスに渡っているが、英国・ドーヴァー港からフランス・カレー港までは船を、カレーからは国鉄を利用し、北駅からパリ入りしたはず。
 今日ではパリ郊外のドゴール国際空港からの直通列車や、英国からのユーロスターが到着し、100年前と同様に「大陸の玄関口」である。
 ちなみにパリの鉄道はロンドンと同じく放射状で、各方面に向かう列車がそれぞれターミナル駅から出発する。聖典で言明されてはいないが、リヨン、モンペリエ、イタリア方面に向かうはリヨン駅から出発する。行き先がドイツや東欧の場合は、ホームズは東駅からストラスブール経由で向かったと思われる。

 


 小説の舞台としては、フランスのシャーロキアン的には未確定らしいのだが、こちらも紹介しておく。

 

オーステルリッツ通り(聖典ではRue Austerlitz)の候補

 この通りにあるヴィラに、「第二の汚点」の国際スパイ、エドアルド・ルーカスがアンリ・フルネイの名前で妻と住んでいた。パリに(deのない)"Rue Austerlitz"は実在せず、本国フランスでも調査中である。ここではいくつかの候補のみ紹介する。

 まず(deのある)"Rue d'Austerlitz"は12区のセーヌ河右岸、リヨン駅のそばにある。古名は"passage d'Orient"だが、近くにあるオーステルリッツ橋にちなんで現在の名前になったのは1898年。
 対岸の13区にあるエスキロル通り(Rue Esquirol)はその昔"grande-rue d'Austerlitz"(1812~1864年)、同じくカンポ=フォルミオ通り(Rue de Campo-Formio)は"petite-rue d'Austerlitz"(1806~1851年)という名前だった。
 この2つの通りは19世紀に実在したオーステルリッツ村(village d'Austerlitz、1860年にパリ市に合併)の中にあった。
 いずれも「第二の汚点」事件発生年を1880年代後半~1890年代前半と考えた場合(諸説あり)、年代が合わない。まだまだ隠された謎がありそうだ。さらなる調査を待ちたい。

   このオーステルリッツ通りの項は、フランス・ホームズ協会のBogomoletzさんの論文が基になっている。パリの歴史を研究されていて、「翻訳して良いよ」と論文がどんと届き。その要約版のようなもの。

 日本人のワタシからすると、単に英国人のコナン・ドイルが"de"を書き忘れただけなんじゃ……と思ったけれど、こうして候補を並べてみると、パリの歴史が浮かび上がってなかなか面白い。「第二の汚点」事件が何年だったのか確定しないことには、事件の舞台と断言できないのがもどかしい。


おまけ:聖典とまったく関係ないのだが、載せておこう。

ブーランジェル通り Rue des Boulangers

「パン屋」を意味するこの通りは、推理小説図書館の近くにある。この名前のために、ロンドンのベイカー街と姉妹街協定を結んだが、特にそれを示すものはない。全長は224mしかないが、歴史は古く、1350年に"Neuve-Saint-Victor"という名称で作られた。19世紀前半に、パン職人が何人か住んでいたのにちなんで"Neuve-des-Boulangers"と改称された。現称になったのは1844年から。今日ではパン屋は1軒もない。

 

 一連の記事を書いた頃は東京日仏学院に通っていて、図書室でJacques Hillairet『Le Dictionnaire historique des rues de Paris』(パリの街路歴史事典)を見つけた。それを横に置いて確認しながらまとめた覚えがある。「これのロンドン版が欲しいなあ」と真剣に思ったよ。

 

 アヴィニヨン、パリともども、Google MAPやストリートビューで、現在の街路の様子が見られます。