横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

夜明けの約束

『夜明けの約束』La promesse de l'aube
ロマン・ガリ著 岩津航訳 共和国  

夜明けの約束 (世界浪曼派)

夜明けの約束 (世界浪曼派)

 

  12月2日はフランスの作家ロマン・ガリ(1914年~1980年)の命日。ちょうど『夜明けの約束』を読み終えたところだ。

 最初の妻レスリー・ブランチ(英国人作家)によると、彼は「かなり話を盛っている」そうなので、自伝とはいえ鵜呑みにしてはならない。自伝的小説と解釈すべきだろう。

 

 この小説は、何年か前に授業で原書で読んだことがある。くまなく辞書を引いたわけでもないので、当時の読解はかなり中途半端だったと思う。それでも、主人公の母親の肝っ玉母さんぶり(かなり強烈!)や、一人息子にかける果てしない愛情に、とても胸を打たれた記憶がある。

 今回日本語訳が出て、改めて読んでみたが、仏語で読んだ時の印象は変わらなかった。

 母一人、子一人で苦労して生きてきて、ロシア、ポーランド、そしてフランスへと移り住む。絵画、ヴァイオリン、フェンシングなど、「これは見込みがあるかも?」と思われたものはどんどん挑戦させる教育ママぶり。作家であれ外交官であれ空軍将校であれ(たぶん職業は何でも良い)、とにかくひとかどの人物にならなくてはいけないと、ロマン少年は幼い頃からプレッシャーをかけられてきた。舞台女優として大成しなかった自分の夢を代わりに息子に叶えてもらうため、また一人しかいない子供だからこそ、母の期待を一身に背負わせた。よく途中でグレなかったなと思う。

(p.31~32)
あれほど若く早いうちに、あれほど愛されたのはよくないことだ。
 ……
母親が子供を愛すべきではないというつもりはない。ただ、母親はほかにも愛する人をもつべきだ、そう言いたいだけだ。

 息子にここまで言わしめるほど、母ニーナ(本名はミナ)は深い愛情を注いだ。恋人または新しい夫を得るチャンスもなかったわけではないのだが、なぜかニーナは「息子だけで良い」と決めた。

 

 ニーナのフランスへの憧れは、異様なほどだった。19世紀~20世紀初頭のロシアの文化人は、洗練や教養の証としてフランス語を習得する人が多かった。ニーナの抱くフランスのイメージは、息子にとっては古めかしい、おとぎ話のように見えただろう。

 ロマンの方はフランスに帰化して3年後、空軍で大きな挫折を味わい、現実のフランスを嫌と言うほど思い知らされる。帰化したばかりというのが将校に任命されなかった理由だと知るが、巻末の略歴を見ると、おそらくユダヤ人だったというのも理由だと書いてある。19世紀末にフランス陸軍ではドレフュス事件があり、ユダヤ系への偏見が明らかになったばかりだが、空軍でも同じだったのか。

 病気が悪化していた母のために、いちばん早く(そして存命中に)見せられそうだったのが空軍将校の姿だったが叶わず、失望するロマンに追い打ちをかけるような出来事が起こる。フランスがドイツに敗れ、独仏休戦協定が結ばれたのだ。ペタン元帥への絶望は、当時多くのフランス人が抱いたのと同じものだ。

 葛藤の末、アルジェリアの空軍基地から脱走してイギリスへ渡り、ド・ゴール将軍率いる自由フランス軍に身を投じる。グラスゴーにたどり着いた時の一文が壮絶。

(p.260)
そこにいた五十人の操縦士のうち、戦争終結時にまだ生きていたのは三人だけだ。 

  戦闘で命を落とす者も多かったが、アフリカの砂嵐など、事故で亡くなる者も多かった。出撃のたびに仲間が減っていき、たまたまロマンが乗らなかった飛行機が墜落したり、難を逃れたことも。腸チフスで生死の境をさまようが、フランスに残した母が乗り移ったかのように、生への強い意欲が湧いてきて、終油の秘蹟まで受けたところから生還した。

 ド・ゴール将軍から解放十字章という勲章を受けたほどの英雄なのに、作中には失敗談ばかりで成功譚が出てこない。謙虚さとは違う。戦後、念願の外交官となり、売れっ子作家となったのに、母にその姿を見せられなかった、間に合わなかったことが重くのしかかっていた。

 作中、帰国するまで母の死を知らなかったことになっているが、実際はアフリカ駐留中に訃報を聞いたという。それでも、戦争中に母の声が耳元で聞こえ、彼を励まし続けたというのは、間違いないだろう。


 ところで、本作はフランスで2度映画化されている。最初は1970年で、母親役はメリナ・メリクーリ(「日曜はダメよ」)、息子役はアッシ・ダヤン。そして2度目は今年12月の公開で、母親役はシャルロット・ゲンズブール、息子役はピエール・ニネ(「イヴ・サンローラン」)。

 シャルロットの父セルジュ・ゲンズブールはロシア系ユダヤ人の子で、あとがきによると、シャルロットは「ロシア語なまりの母親役を演じる際に、祖母のなまりを思い出した」という。確か、セルジュ・ゲンズブールの伝記映画(「ゲンスブールと女たち」)に、彼と交際中のブリジット・バルドーがマスコミから逃れてセルジュの実家を訪れ、ロシア系らしい両親とお茶を飲む場面があった。

 この映画、日本でも上映されないだろうか。

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 小説中ではポーランドヴィルノだったリトアニアのヴィリニュスには、ロマン・ガリの像がある。住んでいたのは少年時代ということで、少年の像。

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 ロマン・ガリの2番目の妻ジーン・セバーグは、ゴダール監督の「勝手にしやがれ」や、フランソワーズ・サガン原作の「悲しみよこんにちは」に出演した米国人女優。ギャリ―・マッギーの伝記『ジーン・セバーグ』(水声社)も読んでみようかな。

 日本語では「ロマン・ギャリ」などの表記もあり、ややこしいが、いくつか邦訳が出ている。また、フランス文壇を揺るがせた、エミール・アジャール名義でも小説を発表している。絶版本ばかりだが、これからちょっとずつ追いかけて行こう。

 

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