「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」岡田芳郎 講談社
世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか
- 作者: 岡田芳郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/01/18
- メディア: 単行本
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以前読んだ、片桐はいりさんの「もぎりよ今夜も有難う」(記事はこちら)の中で、山形県酒田にある映画館の話が出てきた。港座と、グリーン・ハウスだ。本書の”世界一の映画館”とは、グリーン・ハウスを指す。
何年か前に新聞の書評欄でタイトルを見た覚えがあり、本書のことはずっと気になっていた。もう一つの”フランス料理店”という言葉も、フランスびいきの私には気になっていた。
伝説の支配人の名前は、佐藤久一。名家の出身で、普段から良いものに囲まれて暮らし、子供の頃から庄内の海の幸、山の幸を味わっていた。環境に恵まれたこともあるが、何より彼は「人たらし」だった。女性だけでなく、仕事仲間の男性も惹きつけた。
父親の久吉から、映画好きなところを見込まれ、二十歳の若さで映画館の経営を任される。優秀なアイデアマンで、時代を先取りしていたことに驚かされる。今なら「当たり前」になっていることを、昭和30年代に実現していた。それも東京から遠く離れた地方都市で。例を挙げる。
客席数よりも快適さにこだわった館内の改装
作品紹介のフリーペーパーを出す
女性客を集める(女子トイレをきれいにするとか)
物販にも力を入れる
まだ山形まで新幹線も通ってなかった頃に、東京の映画館と同時公開をやってのけたこともある。フィルムの運搬の裏技や、映画会社の営業マンとの駆け引きには、舌を巻く。
また、グリーン・ハウスでは映画以外のイベントとして演奏会を開催したり、酒田という街を文化都市にするべく尽力した。併設の喫茶店には若き芸術家が集まった。
グリーン・ハウスを人に任せ、東京で働いたのをきっかけに、酒田でフランス料理店の経営を始めるのだが、こちらも当時としては斬新なことを試みている。たとえば、フランス料理と一緒に日本酒を出すことだ。21世紀現在なら、さほど意外ではないが、ちょっと前までは「ありえない」と言われたマリアージュだ。
山形県には優れたワイナリーがあるが、タケダワイナリーのオーナー武田重信との出会いも大きい。渡仏してボルドーを訪れた、研究熱心な人物。「こんなワインを作ってほしい」という佐藤久一の要求に応えてみせ、レストラン「ル・ポットフー」でタケダワイナリーのワインが供されるようになった。
「ル・ポットフー」には、評判を聞きつけて、遠方から様々な著名人が訪れたという。山口瞳、古今亭志ん朝、石井好子、淀川長治など、枚挙にいとまがない。確かに、メニューを見てみると、この土地・この季節でしか味わえない、ご当地の食材が使われており、ため息(それと唾)が出る。
ただフランスの真似をするのではなく、基本をしっかり学んだうえで、庄内地方でとれる食材を生かして個性を出す。ポール・ボキューズが来日して講習会を開いた時は、佐藤久一はシェフを連れて参加したという。
伝説の映画館とレストランのオーナーであり、功労者の名前が忘れられたのはなぜか? という問いには、一因として、かの「酒田大火」があった。酒田市に大きな被害を与えた大火災の火元が、このグリーン・ハウスだったのだ。久一の父、久吉は地元の名士で、整理剰余金を被災者に分配したという。グリーン・ハウスについては、今は存在しない建物だから、ではなく、街の負の記憶にまつわる場所だから、人々の記憶から抹消されてしまったのだ。
また晩年には、それまでの金に糸目を付けない、お坊ちゃん流の経営に限界が来て、レストランに甚大な損害を出してしまった。佐藤久一は最高の居場所を失い、かつての輝きを失った。
オーナーが変わったレストラン「欅」、「ル・ポットフー」は、現在も続いているという。いつか山形を訪れる機会があったら、タケダワイナリーともども、行ってみようかな。
グリーン・ハウスに併設された喫茶店の名前は「緑館茶房」だった。この本は、建築めぐりの時に電車で読んだのだが、街をぷらぷら歩いていると、目の前に「緑の館」という喫茶店が現れたので、びっくりした。ものすごいシンクロニシティ。
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