横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

片山廣子 孤高の歌人

片山廣子 孤高の歌人
清部千鶴子  短歌新聞社


 『新編 燈火節』(記事はこちら)を書いた歌人片山廣子ことアイルランド文学翻訳者・松村みね子の伝記。片山廣子の親族(娘婿、姪など)に取材し、たくさんの資料に当たってまとめた労作である。染井墓地で片山家の墓を探すくだりは、ちょっとした探偵小説のよう。

 



 娘婿の山田秀三(官僚・実業家)はアイヌ語研究者でもあったが、義母のことをとても尊敬していた。片山の息子と娘はそれぞれ作家になった。ただ身内というだけでなく、文学を愛する者としてのきずなで結ばれていた。すごい一家だな~。

 私が彼女のことを知ったのは、堀辰雄の作品がきっかけだったような気がする。フランス文学に影響を受けた日本の作家について調べていて、堀辰雄作品を片っ端から読んでいた時期がある。当時としては、まるで日本ぽくない作品世界に「うわー、お洒落~」と感嘆。後で堀辰雄がちゃきちゃきの東京下町育ちと知って、ものすごく驚いた。

 堀辰雄の短編「聖家族」の細木母娘のモデルは、片山廣子とその娘の総子(筆名は宗瑛)と言われている。『物語の娘 宗瑛を探して』(川村湊著)という本で、美人と評判だった総子の写真を見ることができたが、母親の片山廣子の方は、とにかく写真が残っていない。本書には、結婚前に撮影したものとおぼしき一枚(見合い写真か?きれいというより、可愛い)と、50代に入り、『現代短歌全集』を刊行した時に撮影した一枚が掲載されている。

 片山廣子の写真嫌いは有名で、家族や歌人仲間の集合写真の時にこっそり抜け出したという。なんだろう。まさか、「写真を撮ると魂が抜かれる」という時代の迷信を信じてたんじゃないよね!? 

 彼女が「文學婦人」「くちなし夫人」と呼ばれたり、文学者と交流を持った、30~40代の頃の写真が残っていないことを残念に思う。堀辰雄が「聖家族」の細木夫人のモデルにしたのなら、どんな雰囲気だったのか、気になるのだ。

 彼女をよく知る親戚は「あんなにおきれいな方ですのに……」と、写真を撮らないのを残念がっているので、おそらくは、その写真の存在しない年代の頃も、とてもきれいな人だったのだろう。

 それにしても、堀辰雄は文学仲間には「ホリタツ」って呼ばれてたんだ! 今の男子高校生とかも言いそう。しかも、略称の割に一文字しか短くなっていないぞ(笑)。「片山さんの歌集はぼくが出してあげますよ」と言っていたのに、芥川や息子の達吉(筆名・吉村鉄太郎)に続き、堀辰雄が先に亡くなった時は、本当にがっかりしただろう。芥川の思い出を共有する存在であるだけでなく、息子の文学仲間でもあったのだから。

 昔は現代と違って、海外産のフルーツは手に入らなかった。甘味もそれほど種類はなかった。そんな時代に、片山が果物の中でリンゴが大好きだったというのが、ほほえましい(ワタシもリンゴ大好きなので、嬉しい)。リンゴを題材にした短歌がいくつも並び、「どんだけ好きだったんだ!?」と思った。これほどのリンゴ愛を込めた文学作品、ワタシには書けないよ……。

 『新編 燈火節』を読んだ時にも思ったが、なかなかユーモアのセンスがあった人らしい。戦後の貧しい暮らしを書いたエッセイでも、赤貧ほどではないから「ピンク色の貧乏」と表現していたり。さすがに今でも読まれる文章を書く人だ。

 梨木果歩さんとか、荻原規子さんとか、解説を書いていた人たち(女性ばかり)が、揃って芥川に手厳しかった。「芥川の晩年の恋人」のようなゴシップ的な文脈で語られるのが許せなかったのだろう。それだけで語ってしまうのは、あまりにもったいない。もっと評価されてもいい人なんじゃないかな。

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