横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

夜を乗り越える

「夜を乗り越える」
又吉直樹  小学館よしもと文庫
 

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

 

 
 NHK Eテレの「オイコノミア」を毎週見ている。経済用語を切り口に、仕事、結婚といった世の中の出来事を見て行くバラエティだ。現在の放送時間45分、出演者は経済学の専門家、ピースの又吉直樹、ゲストという構成になってから見始めた。

 堅苦しさはまったくなく、真面目なテーマでも、やはりお笑い芸人が出ていることもあり、必ず笑えるコメントが飛び出してくる。既に作家として文章を書いているのは知っていたが、一回り年下なので、「又吉くん」と呼んでいた。

 たとえば昨年、小説「火花」で芥川賞を受賞した時は、「又吉くん、芥川賞とったって!」と、近所のオバチャンのように言ったり。

 


 家人が地元図書館の所蔵を確かめると、予約件数が4桁になっており、「これは買った方が早い」と注文していた。単行本の販売部数240万部に加えて雑誌、さらに、全国各地の図書館で3桁、4桁の人が予約して読んだとすると、日本人のいったい何人が読んだ計算になるのだろう?

 本書はそんな社会現象を巻き起こした「火花」の後に発表されたエッセイ。なぜ本を読むのか、創作の裏話、太宰治芥川龍之介といった近代文学について語っている。

 舞台の台本を書くことと小説を書くことには共通点が多く、また、吉本の雑誌に文章を書いたことが、文章修行になったという。お笑い芸人として知名度が上がるにつれて、文章が編集者の目にとまり、執筆依頼がくるようになったらしい。

 それまで読書を楽しむ側だったのが、書く側に回り、若くして成功したことで、特にここ一年間は、大きな波に揺られる思いをしたのだろう。温厚な彼が珍しく怒りを見せている個所がある。長いので一部を引用する。

読書も同じで、徹底的に否定して溜飲を下げるというスタイルをとっている人や、名作と呼ばれるものをこき下ろすことによって個性を出したい人もいて、それが気持ち良いならそれでいいんですけど。評論家じゃなくて、趣味の読書なら楽しんだ方が得だし自分のためにも良いと思うんですよ。

 

だから批評があるのも当然ですよね。それは文学が進化するために、腐敗させないために必要なものだと思います。ただ、最初から批判的に読もうとする人間には虫唾が走ります。見当外れの意地悪な読み方をする人間は、本来その本が持っている能力を封じ込める作業をしているようにも見えますし、読書を楽しみたい僕にとっては有害だから嫌いです。

第3章 なぜ本を読むのか――本の魅力 より

 

 前後の文章と通して読んでみると、このくだりは、”読書を楽しみたい読者”の目線にも、作家としての目線にも解釈できる。

 そういえば、ある女性芸能人が「火花」を評して「何も感じなかった」と発言して、ちょっとした騒ぎになったっけ。

 映画の世界にも通じるのだが、やたら揚げ足取りをする人(それも同業の作り手でもなく、プロ批評家でもない素人)は、小説であれ映画であれ作品をけなすことで、自分の知識や優位性(何の!?)をひけらかしたいのだと思う。マウンティングの歪んだ形というか。そんな輩には「だったらお前が映画を撮ってみい! 小説を書いてみい! 口先だけでなく、汗水たらしてみい!」と言ってやりたい。

 好きな作家たちについて語る第4章~第6章は、熱がこもっている。うちの実家に叔父の置いて行った日本文学全集があって、若い頃にひと通り読んだ覚えがある。太宰治は、主人公のダメダメっぷりにどうもついて行けず、全集にないものは、わざわざ文庫本を買い足して読破するまでには至っていない。

 一方、芥川龍之介は、大学の一般教養で専攻したので、全作品を読破した。芥川は今の東大英文科の出身だけど、フランス文学が波長が合ったのかその影響を受けており、いくつかの作品に「まるでフランスの小説みたい」と思った覚えがある。

 太宰も芥川も今読み返したら、違う解釈ができて、結構面白く読めるかもしれない。

 西加奈子さんとか現代の作家についても著者は熱く語っていて、今度読んでみようかなと思った。そういえば、西加奈子さんは「オイコノミア」にゲスト出演したことがある(先生も含めて出演者全員が関西人の回は、むちゃくちゃおかしい)。


「オイコノミア」を見たり、本書を読んだりするうちに、脳内に関西弁が入ってきて……よっぽどこの記事は、関西の近所のオバチャンになりきって書こうかと思ったよ。


「又吉くん、新刊読んだでぇ~! アンタええこと言うな!」とか。

えっ、関西出身でもないのにどうするのかって?
関西弁の翻訳サイトがあるんだよ。
面倒だから止めたけどな。
関西弁で書くなら、まったく違う内容になったはず。
標準語だと冷たく聞こえるものも、関西弁ならふんわり表現できるから。