横文字の島

Ile de l'alphabet ~ ある翻訳者の備忘録

姉・米原万里 思い出は食欲と共に

米原万里 思い出は食欲と共に」
井上ユリ 文芸春秋社

 

姉・米原万里 思い出は食欲と共に

姉・米原万里 思い出は食欲と共に

 

  ロシア語通訳で作家の米原万里さんが亡くなって、もう10年もたつ。
「不実な美女か貞淑な醜女か」を、翻訳者の卵だった頃、タイトルに惹かれて手に取った。通訳・翻訳者にとっては永遠の課題だからだ。

 3年前、NHK Eテレグレーテルのかまど」で、米原万里さんがエッセイで紹介したお菓子「ハルヴァ」が出てきた。海外暮らしから日本へ帰った後も必死で探し回るほどだから、よほど美味しいんだろうなあと思ったのと同時に、米原さんの食べることへの執着、貪欲さを感じた。

 本書は妹である井上ユリさんの回想録なのだが、副題が「思い出は食欲と共に」。読んでみたら、食への関心は、妹さんも負けていない。姉の方は、通訳の仕事で世界各地へ行き、色々なものを食べて文章にしたが、妹の方は専門学校に入り、イタリアのレストランで修業し、イタリア料理の専門家となった。すごい姉妹だ。

 


 食べ物の話題ばかりではない。50代の若さで万里さんが亡くなった後、出版された本を見ては、ユリさんは「この本の書評を書くなら、万里しかいない」と惜しむ。この10年、そんな思いをすることが多かったのだろう。


 米原さんといえば、友人でイタリア語通訳者の田丸公美子さんとの丁々発止も忘れられない。田丸さんを「シモネッタ」(下ネタ)と呼び、米原さんは「え勝手リーナ」(エカテリーナ)と呼ばれたという。最強コンビ。

 専門言語も違うのに友情が生まれたのは、もちろん同業者として、うまが合ったのもあるだろうが、私の勝手な想像だが、恐らくは、二人とも「英語以外の言語が専門」だったからではないか?

 最近でこそ、アジア言語の需要が増えたり、流れが変わってきたが、1980~1990年代は、日本で外国といえばほとんどアメリカを指し、外国語といえば英語だった。米原さんのエッセイにも、異様で過剰な日本の英語偏重志向を批判する文章があり、フランス語が専門である(英語の仕事もするが、あくまで専門はフランス語だと思っている)私も読みながら「そうだ、そうだ!」と激しく同意したものだ。

 この感覚、英語以外の言語を専門としている通訳・翻訳者なら、理解できると思う。私自身、昔働いていた翻訳会社で仲良くなったのは、中国語とスペイン語の同僚である。英語への不満という共通点がきっかけだったのだ。

 そういえば、各言語の通訳仲間を指して、「言語のお国柄を反映している」と書いていた文章があったが、フランス語通訳はきざであると、書いてあったような……。昔はフランス語を学ぶ人はそんな風だったのかもしれないが(それも米原さん世代は)、私個人に関しては、時代も違うからか「えっ、そうかなー????」。偏見だよ、偏見! 少なくとも私は、高温多湿の国・日本で、満員電車に、香水をふりかけた状態で乗り込むという、はた迷惑な真似はしない。

 米原さんのエッセイは何冊か読んだけど、全部は読んでいないので、また改めてじっくりと読み返そうかな。きっと、今読んでも面白いだろう。あっ、もちろん田丸公美子さんの本もね。

 

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

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